再びえんじゅです。
先ほどテレビ朝日系列で放送された
テレメンタリー2011「津波を撮ったカメラマン」、
見ました。

http://www.khb-tv.co.jp/teremen/index.html

3月11日の地震当日、気仙沼市在住だった
東日本放送(テレビ朝日系列)気仙沼支局の千葉カメラマンが、
地震発生直後に気仙沼市内の高台のある海辺に向かい、
そこで襲い来る津波を間近に撮影し、
その後の街の様子や避難所の様子を取り続けた49日間の記録を
千葉さん本人のインタビューも混ぜつつ見せるという
ものでした。

千葉さんのカメラマンとしてのプロ意識、
家族の理解、そして怒りとも悲しみとも憎しみとも取れない
被災した人たちの複雑な感情…。
いろいろなものが詰め込まれていましたが、
ひとつ、千葉さんが家族とともに瓦礫の中から探し当ててきた
家族のアルバムを眺めていたシーンでハッとさせられたのは、
「カメラは未来に向けられている」ということです。

ビデオカメラにしろ普通のカメラにしろ、
カメラのレンズは、普通は「現実」を映し出すものと見られています。
確かにそうなのですが、
ではカメラはなぜ「現実」を映し出すかというと、
それはひとえに、「今、この現実」を、
やはり「未来」に伝えるために映し出しているのだと思います。

「津波を撮らなければ」、「被災者の様子を撮らなければ」という
千葉さんの使命感も、やはりそうした「現実」を
「未来」に伝え残すという使命感ですし、
そうした強い使命感でなくとも、家族でカメラを向け合うのは、
「今、この現実」、これからも続いていくはずの「現実」を映し、
「未来」に伝え残すためではないでしょうか。

津波の映像は将来の子どものために、
家族の思い出の写真も将来の子ども(家族)のために。
そこにいったいどれだけの違いがあるというのでしょうか。

「未来」とは、子どもたちの謂いです。
写真や映像は、そうした子どもたちに届けられるものです。
そう考えると、カメラの持つ役割、力も、
非常に大きいような気がします。

手前にカメラを抱えて映ってるのが千葉さんです。