再びえんじゅです。
旧大日本帝国海軍の潜水艇に、
第6潜水艇という船がありました。
この船は1910年に広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に
事故を起こし、
乗員14名全員が死亡するという痛ましい惨事となります。
事故の翌日から救出作業が行われますが、
誰もが阿鼻叫喚の船内を想像する中、いざハッチを開けてみると
乗員全員が整然と各自の持ち場についたまま死亡していて、
そのことが国内外の話題を呼び、
日本の戦前の修身(今でいう「道徳」ですね)の教科書に載ったり、
欧米の軍事教本などに載せられたりもしたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%87
よく美談として取り上げられるこの事件ですが、
僕には危機管理におけるひとつの教訓として読めます。
危機においては「持ち場」を離れることは自殺行為です。
持ち場を離れることで、死に至る確率がより高くなるからです。
潜水艦などの密閉された空間ではなおさらそうでしょう。
よく船が遭難したときに船長は最後に降りるといわれますが、
あれもそうした危機管理の技法の一種でしょう。
そのつどそのつどにおける自分の持ち場を意識しながら動くこと、
危機の際に求められる姿勢とはl、そういうものだと思います。
翻って今の日本を見てみたとき、私たちの「持ち場」はなんでしょうか。
経営者なら商売(経営)をすることでしょうし、漁業者・農業者なら
米や農作物や魚を獲ること、法律家なら法律を運営すること、
会社員なら会社で働くこと、作家なら物を書くこと、
歌手なら歌を歌うこと、役者なら演ずること、
政治家なら法律を作り政治を行うことでしょう。
もっと細かく言えば、総理は行政の全体を管理することですし、
政務官は具体的な行政の実務を取り仕切ることです。
そうした諸々の持ち場を離れて各自が思い思いの方向へ
拡散してしまうと、
沈み行くこの日本はますます再浮上の可能性を失っていくでしょう。
これは比喩ではなく、実際に東北沿岸部は地盤沈下を起こし、
また東日本から西日本までの広範囲にわたって、
日本は放射能を含む大気の中に沈みつつあります。
第6潜水艇の場合は不幸にも助かることはありませんでしたが、
それでも、乗員全員が持ち場を離れなかったというのは、
彼らが心の底から「生きたい」と願ったからです。
決して倫理的な「美しさ」を追求した結果ではありません。
世界的な名誉を欲したわけでも、当然ありません。
「生きたい」と思うこと、そうした思いこそが
「持ち場を離れない」という行為を生んだわけで、
そうした意味では自己保身に腐心している今の政治家の大半は、
「生きながらにして死んでいる」と言えるかも知れません。
僕もしっかりと自分の持ち場を離れないように、
「生きたい」という思いを、大切にし続けたいと思います。