えんじゅです。

ずいぶん前に、

『チャイナ・シンドローム』という映画を、

TVの深夜放送で見たことがあります。

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アメリカのとある原発で、ワイドショーのキャスターとカメラマンが

取材中に原発事故に遭遇します。

極秘裏にその様子を撮影していた彼らは、事故を隠蔽しようと企む

原発を運営する企業の幹部たちによって繰り返し監視襲撃されますが、

何度も辛くも難を逃れ、一人の技術者の活躍で

その事故映像をついに公にするという内容でした。


タイトルの『チャイナ・シンドローム』というのは、

原発の燃料棒の溶融(メルト・ダウン)が起きたときに、

その熱によって地殻までが溶けてアメリカの裏側の中国にまで達する、

というひとつのジョークで、実際にはそんなことはあり得ないのですが、

大量の放射能が拡散し、人体や自然環境に大きな影響を与えるのは

事実でしょう。


この映画が公開された直後(1979年)、

アメリカではスリーマイル島の原発事故が起こり、

作品のあまりのリアルさに、大ヒットとなったそうです。

その後、

カンヌ映画祭のパルムドールにまでノミネートされたそうですが、

しかし、もし事故が起こっていなかったら、そこまでの反響は

なかったかもしれませんね。


人間には事が起こってから事態の大きさを認識する場合というのが、

多々、あります。

個人にせよ集団にせよ、そのときには正しい選択だと思ってしたことが、

後々そうではなかったことがわかり、しかしもう後戻りはできない、

という場合が、多々、あります。

原発の問題がそうですし、「聖域なき構造改革」による格差拡大も、

その一例でしょう(もちろん、よい面もあったはずです)。


そうした原発の是非や政治改革といった大きな面でも、

あるいはもっと生活に密着した面でも

(今夜の夕食のメニューを何にするかとか)、

僕たちはいろいろなことを秤にかけて日々生活しています。

今回の震災と津波は、そうした僕たちの持つ秤そのものが、

ある意味で狂っていたということを知らせたのではないでしょうか。


ある意味では、それは仕方のないことではあったかもしれません。

しかし、秤が狂っていることが分かった以上、その秤を今後も

続けて使っていくわけにはいきません。


「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」


きっとこの言葉は何も、広島の被爆者のみにかけられるべきものでは

ないでしょう。