えんじゅです。
NHKで、
現在の英国を代表する作家カズオ・イシグロさんの特集を
やっていたのを見ました。
最近映画化された最新作『わたしを離さないで』を中心としながら、
「記憶」を、イシグロさんの作品に共通するテーマにすえて
イシグロさんの実像に迫るという構成になってて、
イシグロさんの作品の秘密、魅力について、
少しわかったような気がしました
僕はイシグロさんの作品では『日の名残り』を少し読んだ程度ですが、
そもそもこの作品に出会ったきっかけは、
ジェームズ・アイヴォリー監督の映画『日の名残り』でした。
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これは第2次大戦前夜の英国の貴族に仕えた執事の話ですが、
緊迫した国際政治に奔走する主人の貴族たちの影で
運命や偶然といったものに翻弄される名もなき執事や女中たちの姿が
よく描かれていて、
初めてTVの深夜放送で見たときから、
いまだに僕の好きな映画不動のNo.1であり続けています(^▽^;)
主役の執事を演じたアンソニー・ホプキンスさんは、
この作品で一発でファンになりました
『羊たちの沈黙』も、もちろんいいですけどね
原作のほうは、今は違う主人に雇われている老執事と元女中頭との
書簡(手紙)形式のやり取りだったと思いますが、の独白ですが、
映画のほうでは、現在(50年代)と過去(30年代)のイギリスを往還し、
より視覚的に鮮やかに、主人公たちの「記憶」に迫るものになってたと
思います
(過去の会議の席で歌われるアリアと、現在の執事と女中頭の
再会シーンでのジャズ・スタンダード「スター・ダスト」の演奏の対比が
鮮やかでした)。
DVDのほうに収録された原作者インタビューで、イシグロさんは
「運命や偶然といったものに愚直に従っていくという、
誰にも備わっているだろう一種の<執事性>を描きたかった」
というようなことを言ってたと思いますが、
今回の特集でも扱われていた「記憶」が、執事の叶えられなかった恋や
あるいは主人であった貴族(ちなみにジェームズ・フォックスさんです)の
大戦前後の行動に対する贖(しょく)罪の意識など、
ここでも重要なテーマになっていたと思います。
人は、記憶を抱えながら生きています。
幼い頃の記憶、青春期の記憶、ふるさとの記憶…時を降るにつれて、
そうした記憶がその人の生きる支えになってることも多くあります。
僕自身、失いたくない記憶を多く抱えていますが、
戦災や天変地異といった出来事は
そうした記憶のよすが(思い出の品)でさえも無残に奪っていくことが
あります。
ですが、記憶そのものは、決して奪われることはありません。
番組のほうで、分子生物学者の福岡伸一さんが言っていましたが、
人間の身体というのは固体というよりはむしろ液体、
もっと長いスパンで見れば相互に関係する気体であって、
身体というのは流転する(「動的平衡」といいます)そうです。
だとすれば人間が人間である、あるいは自分が自分であることの証拠は
「記憶」に置かれるんじゃないか、そう言っていました。
僕が僕であること、
そしてそれを繋ぎとめている沢山の関係(友人、家族、コミュニティー)、
そうしたものの記憶の蓄積、記憶の「鎹(かすがい)」こそが、
僕やほかの人を、その人たらしめているんだと思います。
特に今回のような大きな震災、悲劇を前にしては、
その「鎹(かすがい)」を強くしていくことでしか、立ち向かっていくことは
できないんじゃないでしょうか。