A.ヴァルダ監督『冬の旅』を観る。

 

冬の寒い日、フランス片田舎の畑の側溝で、凍死体が発見される。遺体は、モナ(サンドリーヌ・ボネール)という18歳の若い女だった。モナは、寝袋とリュックだけを背負いヒッチハイクで流浪する日々を送っていて、道中では、同じく放浪中の青年やお屋敷の女中、牧場を営む元学生運動のリーダー、そしてプラタナスの樹を研究する教授などに出会っていた。警察は、モナのことを誤って転落した自然死として身元不明のまま葬ってしまうが、カメラは、モナが死に至るまでの数週間の足取りを、この彼女が路上で出会った人々の語りから辿っていく。人々はモナの死を知らぬまま、思い思いに彼女について語りだす。

 

 

 

深い余韻の残る作品。

 

自由を求めるが故に、モナは次第次第に孤絶(isolation)していく。

人は何らかの社会関係の中でしか生きていかれないことの象徴的な暗示だろう。

そしてこれは1970年代末から80年代にかけて、世界的に起こった出来事である。

フランスでは1980年代半ば、この映画が製作されたちょうど翌年(1986年)に、

ミッテラン大統領とシラク首相(当時)によるコアビタシオン(保革共存)政権が

誕生し、新自由主義的な政策が取り入れられていく。

そうした背景が、モナのような孤絶した若者、高齢者、障害者…を生んでいった。

英国では1979年にサッチャー政権が誕生し「サッチャリズム」が席巻、

米国でも1981年にレーガン政権が誕生し

「レーガノミクス」が断行されることになる。

こうした新自由主義がもたらした負の遺産は大きく、

今でも欧米はそれに苦しまされている。

先の英仏両国の総選挙でリベラル勢力が大勝した理由も

ここにあると言っていいだろう。

 

 

 

翻って、昨日の東京都知事選及び都議選の結果はどうだったか。

周知のとおりである。

これは日本人がまだ根本的に「社会」の崩壊を目の当たりにしていないこととも

深く関係しているような気がする。

 

欧米社会は新自由主義の政策によって、ズタボロに崩壊してしまった。

それを示したのが例えばニルバーナでありダニー・ボイルであった。

 

 

 

 

 

 

そうした、いわば新自由主義の「先進国」が抱える問題点を全く顧みずに、

今や日本社会も着実に崩壊しようとしている。

だが嘆いてばかりいるのはもう止めよう。

ラブレーもこう言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



一杯のコーヒーを淹れるために
ミルを挽き 湯を沸かす。
ドリップにペーパーを差し込み、
挽き終えた粉をいれると
辺りはコーヒーの香りが
薔薇のように拡がる。
空気そのものが
苦い思い出を運んで来
僕を追憶の彼方に連れ去る。
カタカタと薬缶の蓋が鳴り出すと
湯を入れるサインだ。
僕はゆっくり立ち上がり、
薬缶の取っ手を掴んで
注ぎ口をドリップに傾ける。
白い湯気を立ち上らせながら、
湯はドリップに溜まりつつ
器にコーヒーを滴らせる。
黒褐色の液体が
見る見る拡がって、
世界はコーヒーの洪水だ。
方舟に乗った僕は
たった一人 取り残され、
世界が満杯になるのを見る。
それが平和というものだよ、

どこかから声が聞こえる。
この色と香りの前では、
朝露に塗れ豆を収穫する人たちの姿も、
それを不当に安い値で買い叩く貿易会社の社員の姿も、
みんな消えてなくなるのだ。
そしてドリップを片付けて器を傾けコーヒーを啜りながら一言
「これが平和というものだよ」
と僕は呟くのだ。
たった一人だけの部屋で。




コーヒー|藤盛槐 @enju1948 #note https://note.com/1948_/n/n39565e87fd89







 

 

 

戦うものの声が聞こえるか?