戦国大名・宗像氏貞 | STUDIO 67

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最近、城とか甲冑を見るのが趣味になってきた。
なにかご先祖様にゆかりの城や甲冑はないかなあと
色々調べているうちにたどりついたのが、今回紹介する
宗像氏貞という戦国大名。

あいにく城も甲冑も残されていませんが、
中々波乱にとんだ生涯を送ったので
備忘録もかねて書いておくことにします。

【大寧寺の変】
もともと宗像家は九州・宗像大社の大宮司を務めていたが、
戦国大名としては九州・山口の一大勢力である大内家に仕えていた。
ところが大内家の家臣・陶晴賢(すえ・はるかた)のクーデターにより
大内家の当主・大内義隆が殺害され、義隆に仕えていた宗像氏男
主君とともに殉死しました。

ちなみにこの大内義隆という人物、BLというかアッー!というか
とにかくそっちの方面で有名な方。
氏男が美青年であったことは想像に難くありませんね。

その後、晴賢は宗像地方の支配を確立すべく、
わずか六歳の氏貞を擁立して宗像家を支配します。
神社がバックについていればなにかと好都合ですから。

【山田事件】
氏男の死後、正室の菊姫と、その母である山田局は、
四人の侍女とともに山中でひっそり暮らしていました。
女ばかりでなにができるというわけでもないのですが、
それでも安心できなかった晴賢は、部下に彼女たちの暗殺を命じます。

まだ十八歳であった菊姫は、夜中に水浴びをしていたところを
背後から斬殺。薙刀を振るって抵抗した侍女たちも次々と惨殺され
最後に残った山田局は、「この恨み汝等の子孫まで赦すまじ」と
言い残して自害。その亡骸は裏庭に無造作に捨てられました。

その後、彼女らを襲った刺客は、何故か全身を震わせて変死
その親族も発狂したり全身が萎えたりして次々と怪死しました。
これがいまだに語りつがれる「山田の祟り」です。

氏貞の名誉のために言っておきますと、彼まだ六歳でしたからね。
後にこのことを知った氏貞は、供養のため「山田地蔵尊」を建立しました。

ちなみに彼がこの事件を知ったきっかけとなったのは、
自分の妹、色姫が十二歳の時、突然母親の喉笛に噛みつき
われは山田の怨霊なり」と言い放ったから。なにそれ恐い。
この色姫、また後で出てくるので覚えておいてくださいね。

【厳島の戦い】
じゃあ、暗殺を命じた陶晴賢はどうしたの?てことになりますが
知ってのとおり、厳島の戦いで毛利家に破れて自害します。
その厳島神社に奉られているのが宗像三女神っていうのは
少々できすぎたお話。

厳島の戦いに、肝心の氏貞が参加したかっていうのは
定かではありませんが、僕は参加していないと踏んでます。
いつまでも陶の傀儡ってのも面白くない話でしょうから
毛利が陶を滅ぼしてくれればやったぜ、って感じです。

一説によれば、小早川隆景が宗像の名前で、
陶軍に自軍を紛れ込ませていたとか・・・。
となると、毛利家との間に密約があったのかも知れません。
妄想が捗りますね

【大友と毛利の間で】
陶晴賢の死で晴れて自由の身となった氏貞ですが、
九州に帰ってみると、宗像地方は大友家が治めていた。

しかたなく大友家に従属する氏貞だが、
毛利の九州攻めが始まると大友家に反旗をひるがえし
宗像地方を奪い返します。やったぜ

しかし、毛利が九州を攻めあぐねて撤退すると、
あっさり大友に降伏します。ううむ、ちょっと情ないぞご先祖様。
でも大友家には雷神と呼ばれた猛将、立花道雪がいるからね。
仕方ないね。

ここで氏貞は和睦の条件として、道雪の側室に妹の色姫を差し出す。
母親の喉笛に噛み付いた娘を差し出すあたり、
氏貞が道雪をどう見ていたかよくわかります。

【小金原の戦い】
雷神との和睦もなってやっとこれで一安心、と思ったところに
同盟関係にあった秋月家が大友家に反旗を翻す。
宗像家の家臣の一部がこれに同調し、
よりにもよって道雪の輸送隊を襲撃。

なにしてくれてんの!

あわてて道雪に謝罪する氏貞だが時すでに遅し。
雷神との一大戦争に発展します。
しかも驚いたことに、あの雷神を一度は撃退しています
結構やるじゃないかご先祖様。

だけどさすがに二度目はありませんでした。
立花軍に追われた氏貞は、大島に逃れて時期を待つことにします。

そんな、宗像家と立花家の間に挟まれた色姫は、
苦悩の果てに自害しました。
なんだか宗像家って、女性の悲劇には事欠きませんね・・・

【宗像家の最後】
さて、道雪が病死すると、氏貞は反撃を開始。
見事に宗像地方を取り返したのもつかの間、
秀吉の九州征伐が最悪のタイミングで開始されます。

さらに不幸なことに、氏貞はこの年に病没
享年四十一、見事に前厄です。
世継ぎがいなかったため、戦国大名としての宗像家は
ここで断絶することになりました。

その後、宗像地方は小早川隆景が治めることになります。
宗像大社もしばらくは見る影もないほど荒廃しましたが、
それを見かねた黒田長政が五十石を与え、現在も存続します。
ちょうどNHKの大河でこれからやるところですね。
氏貞は出ないでしょうが

戦国の世に翻弄されながら、したたかに生き抜いた氏貞の生涯、
わりと好きです。
そんな僕も氏貞の享年と同い年。頑張ろう。