「んっ、なぁに?」
「あっ・・・、洗い物、大変だな・・・。」
違うことを言ってしまった。
「なぁにぃ、ホントに今日はどうしたの?手伝ってくれるの?何かあるんでしょ?このところ遅かったし、いい女性でもできたのかしら。」
真貴子は直球のつもりだろうが、俺には変化球に思えた。
「そんな訳ないだろっ。違うよ・・・。あのさぁ・・・、これなんだけど・・・。」
「何それ?何の紙?」
俺が差し出したあの書類を見た真貴子は、表情を変えなかった。
「それが、どうかしたの?」
「どうかしたのって・・・。この前、和貴の”お知らせ”を片付けてたら出てきたんだけどさ。これは・・・、何?・・・行ったのか?」
洗い物の手を休め、タオルで濡れた手を拭いた真貴子は、その書類を受け取って眺めた。
「あぁ、これねぇ。これはね。お義父さんの事があったあと、インターネットで調べた時に資料請求したの。でも、もういらないよこれっ。意味がないの。行く意味がね。だからパパにも言う必要はないと思ってたのよ。」
真貴子は、相談会には行っていなかったようだ。
俺は少しばかり、肩を撫でおろした。
そして、あっさりと話す真貴子に、この書類を発見してからの事を全て話した。
強烈な怒りを覚え、そのまま暴れてしまいそうになったこと。
それを止めたのは、この書類に書かれた文章だったこと。
仕事が終わっても営業所に残っていたことは、実際に忙しかったということにしたが、帰宅することが憂鬱だったという部分は話した。
真貴子に聞いてみようと思った経緯を話す中では、片岡が言ったことに対して反論したい気持ちが芽生えたことも話した。
この書類にアンダーラインを引いたのは、やはり真貴子だったようだ。
ただ、そのアンダーラインは、真貴子や、和貴や、滝口親子の前で悪鬼と化した父に当てはめたものだと真貴子は話した。
確かに身体的な暴力や、性的な暴力について書かれた項目にはアンダーラインがない。
特に、性的な暴力などは、真貴子が判断できる項目ではないだろう。
父の事だというアンダーラインについては、自分自身に当てはまる気がしているという事も話した。
そんな俺の話にも、「それで?」と言って首を傾げるだけで、真貴子が表情を変えることはなかった。
「真貴子はさぁ、俺が大きな声を出した時に、よく上目遣いになるよなぁ?あれは、この書類の文章を思い出してるんじゃないのか?」
「えぇ・・・!?そんな訳ないでしょ。全ての文章を暗記した訳じゃないし。だいたい、私がそんなにこの紙に執着してるなら、いくら整理が苦手でも、もっとちゃんと管理するよ。パパにだって話すよ。お義父さんの事だもの。言っておくけど、別に私、コソコソやってたつもりはないからね。」
「じゃあ、あの上目遣いはなに?」
「アハハッ。一応、気づいてたんだぁ。あれはねぇ、パパの真似をしてるんだよ。」
「えっ?」
「パパがイライラして大きな声を出したあと、必ず上目遣いになるの。私だって大声出されれば頭にくるのよ。言われるだけじゃ悔しいから、パパの癖を真似してやったのよ。それが普通の人間の感情でしょ?怒ってるのよ、私だって。」
それを聞いて拍子抜け、足元にあった梯子を外された気分になった。
「真貴子は・・・、俺がDV加害者だと思うか?」
真貴子の表情が、初めて変化をみせた。
呆れ顔になったのだ・・・。
やはり俺を加害者だと見ているのだろうか。
呆れ顔の口元が、少し笑っているようにも見える。
「言って欲しい?」
ここまで冷静に話しをしていたが、徐々に鼓動が激しくなってきた。
俺は何も言わずに頷いた。
「あなたは、DV加害者だよ。」
真貴子の言葉を聞いて、大きく息を呑んだのは確かだ。
ただ、不思議と苛立ちが沸き起こらない。
何故だろう・・・。
俺はこの二ヶ月の間に、優しくなれたのだろうか・・・。
「やっぱり、俺もそうなのかぁ・・・。」
「どぉ?安心した?」
「えっ?」
真貴子の顔が、思わせぶりな表情になった。