決意の離脱 ー 2 ― | 父像~ふぞう~

父像~ふぞう~

著者 立華夢取(たちばな・むしゅ)

 真貴子は玄関に少しだけ背を向け、眠ってしまいそうな和貴を庇うように、胸の中へ抱きいれている。


「こんばんは~。」


 岡嶋さんの声だった。


「昌ちゃんがよぅ、真貴子さんに謝るって言ってるからよ。ちょっと開けてもらえるかい?連れて来てんだっ。」


 真貴子は、あの目で玄関の方を睨んだ。

部屋の中からの応答もなく、痺れを切らせた岡嶋さんの声が続いた。


「昌ちゃんも、もう落ち着いたから。俺も居るし、大丈夫だからよ。出てきてくれよ。」


「出ないでっ。」


 小さな声で、真貴子が呟いた。

外からは、更に声が聞こえる。


「真貴子さん、居るんでしょ。出てきてっ。お父さんが謝るって言ってるの。」


 母・志津子の声がした。

刺々しい口調で、部屋の中にいる真貴子に迫ってくるような声。


「真貴子さんっ。開けてっ。二人とも、出てきてっ。」


 その場を取り繕うことを優先させる、幼い頃と同じ母の口調に、俺は反射的に玄関を開けてしまった。

その隙間から、岡嶋さんが顔だけを突っ込んできた。

後には苛立ちの色を強め、焦燥した顔の母。

そして、母と並んで立っている父・昌洋の顔が、俺の目に非情な雰囲気を伝えてきた。


 岡嶋さんが少しだけ開いたドアをこじ開けるように、体を中に入れてきた。


「おうっ、昌ちゃん。ほれっ、ちゃんと謝れ。息子の嫁さんに、ちゃんと謝れよ。」


 部屋の奥に座っていた真貴子の方を見ると、さっきまで膝にもたれていた和貴の姿がない。

真貴子は、眠った和貴を奥の部屋に非難させていたのだ。

その上で、玄関が見える、さっきと同じ位置に座っている。


「ほれっ、早くっ。」


 岡嶋さんが父を急かす。

父は半歩だけ前へ出るが、目線をこちらには向けない。

非情な面持ちのまま、その口から一言だけ言葉が発せられた。


「悪かった・・・。」


 どこへ向けられたのか、わからないような微かな声。


「それは、心から謝ってるんですか?」


 部屋の奥で、真貴子が静かに口を開いた。

父・昌洋の顔をジッと睨んでいる。

そして、その声を聞いた父の顔が、斜め下の方から捻るように動き、真貴子へと向けられたのだ。
父の両肩がいきり立つ。


「わかったよ。だったら、土下座でも何でもしてやるよっ!」


 そう言うと、大袈裟な身振りでその場に膝まずいた。


「どぉ・うぅ・もぉ・す・み・ま・せんっ。」


「それが、本気で謝ってる態度ですか?お義父さんは、自分がどんな事をしたか、わかってるんですか?」


 浅ましい父・昌洋の姿に、真貴子が非難の言葉を発した。

その途端、父の表情が激しく変わった。

目が吊り上がっていく。


「おうっ、わかってるよ。俺が自分の家を壊して何が悪いっ!あれは、俺の家だっ!」


 これ見よがしに言い放つ父の様子に、横に立っていた岡嶋さんは呆れ顔を浮かべている。


「もう、結構です。謝る気がないなら帰って下さい。」


 真貴子もため息を吐くと、怒りを通り越したのか、呆れ顔を浮かべた。

父は、更に激しく興奮し始めている。

理不尽な悪態の度合いが増してくる。


「お前っ、何様のつもりだっ!お前は桐生家の嫁として、俺に何をしてくれたっ!何もしてねぇじゃねえかっ!」


 あまりに身勝手な言葉に、俺が割って入った。


「何言ってんだっ!俺たちは、お前に何かしてやるために結婚したんじゃないっ。もういいっ。帰れっ!話しても無駄だっ。帰れっ!」


 怒鳴り声をあげ、ドアを閉めようとした俺の腕を、岡嶋さんが握ってきた。

狭くなったドアの隙間から、申し訳なさそうに顔を覗かせている。


「悪りぃなぁ・・・。俺が無理やり引っ張って来ちゃったみてぇだな。後はよぅ、なんとか上手くやってくれよ。俺からも、よく言っとくからよ。」


 父が岡嶋さんの肩を強引にどけて、必死に前に出ようとしている。


「てめぇ、今まで誰に食わしてもらったと思ってんだぁっ!ふざけるなぁっ!」


 俺へ罵声を浴びせながら、玄関の中に入ろうとする父を、岡嶋さんが自分の体を後ずさりさせながらガードしている。

俺は少しだけ表情を緩め、岡嶋さんが完全に外に出た事を確認すると、一礼をしてドアを閉めた。

 父は一体、どれだけの人たちに迷惑を掛ければ気が済むのだろう・・・。

ドアの隙間に消えていった寂しそうな岡嶋さんの表情に、俺はもう一度だけ、心の中で頭を垂れていた。


 父と母が帰って行ったあと、真貴子は今すぐにでも、このアパートを出たいと言った。

そして、その日の夜遅くに鳴った一本の電話を最後に、俺たち家族が揃ってここに戻ることはなかった。



人気blogランキング