去年の10月頃まで
ちょいちょい書いていた
【闇シリーズ】日記。
記者復帰して
仕事が忙しくなってから、
自分の闇を振り返る時間が
なくなっていました
日々の闇はぶちまけてますが(笑)
2016年に
コティ妊娠と共に
縁もゆかりもない東海地方に
引っ越したコティマム。
妊娠が故に東海地方で
決まっていたテレビ局の内定が
取り消され、無職に
そこから私は
激動な日々を過ごしました
世帯収入の半減。
知り合いも友達もいない場所での
初めての出産と子育て。
0歳から癇癪モンスターだった
コティの子育てに疲労困憊する日々。
全くうまくいかない保活と就活。
そんな中での
働き方改革による夫の収入激減
なんとかお金を稼ぐため、
フリーランスの道を
模索するも挫折しまくる日々。
それでも稼がなきゃいけないから、
バイトもしました。
そしてギスギスした中での
夫婦仲の悪化。
いろんなことが一気に重なり、
私はどんどん病んでいきました。
ストレスで8キロ太り、
背中が痛くなり膵臓の痛みへ……。
しんどくてしんどくて、
状況を変えるために動きたくても
動けない現状。
もどかしい
八方塞がりの日々でした。
この頃は
お金のことでも本当に悩み、
でも自分のアイデンティティだった
仕事もうまくいかず
お金を稼ぐこともできず、
夫からは冷たくされ……。
私は異常なくらい
愛情を求めていたように思います。
誰かに認められたい。
誰かに優しくされたい。
誰かに必要とされたい。
家族のために
体がボロボロになりながらも、
ワンオペ育児と仕事模索、
在宅の執筆とめちゃくちゃ動いてました。
さらにバイトも掛け持ちして
働いてました。
でも夫からは
感謝もされないし、
(↑感謝してたんだろうけど
当時の私には全く伝わってこなかった)
誰からも認められたり
必要とされてないように感じて、
とにかく虚しく寂しく悲しかったです。
よく浮気しなかったなーと思います(笑)
目の前に、
コティという、
全力で私を愛してくれて、
全力で私を
必要としている存在が
いるのに、
当時の私は
仕事も家庭もうまくいかない自分が
惨めで、悲しくて、
とにかく寂しくて、
それと同時に激しい怒りのような
感情もありました。
今でも東海地方時代のことを
ふと思い出すことがあり、
胸がギューとなり
涙が出ることがあります。
あの頃は
赤ちゃんコティを
ベビーカーに乗せいろいろな場所へ
散歩に行き、
赤ちゃんや幼児向けのイベントにも
よく行っていました。
インカメラでよくツーショット写真を
撮っていて、
今もたまにその写真を見ます。
その頃の写真を見ると、
当時の自分の寂しくて惨めで
虚しかったなんとも言えない気持ちが
ぶわっと蘇ります。
誰ともしゃべらない毎日。
コティとふたりきりで
いろいろな所に行くけど、
会話する相手もいない。
家に帰って
子どもと缶詰状態になるのが嫌で、
電車を使わず
無駄に歩いて
ベビーカーを押して帰ってました。
2017年頃はまだ笑顔が多かった私も、
2018年、2019年頃は
無表情が増えて、
笑っていても覇気がない。
どの写真も
ぼやーっとしている表情です。
今、金銭的にも精神的にも
いろいろなことに
余裕が戻りつつある中で
あの頃の写真を見ると、
「あー、赤ちゃんコティって
こんなにかわいかったのか」
「コティとたくさんいろんな場所に
行ってたんだな。
その時間ってすごく貴重だったな」
と思います。
今なら、そう思う。
当時は金銭面で不安がある中、
仕事も保活もうまくいかず、
夫婦仲もギスギスし、
今思えば
「あれは完全なモラハラだよなー」
みたいな冷たい態度も夫から取られて、
私は自信喪失してました
夫に冷たくされても
私が悪いから?とか、
認められたい、
昔みたいに優しくされたい、
とか健気に思ったりしてて。
仕事面でも
私がこれまでやってきたことは
なんだったんだと虚しくなり、
悔しくて泣いたことも多々ありました。
でも一番聞いほしい夫に
聞いてもらえないから、
夜中にちょっと部屋を抜け出して
住宅街を散歩して、
真夜中の公園のベンチに座って
泣いたり、
弟や東京の友達にLINEで
めちゃくちゃ愚痴ったりしてました。
はー、なんか、
私すげー大変だったし
頑張ってたなぁと
いま、思うわけです。
そりゃ膵臓も痛くなるよと。
てことで、
まだ闇を出し切れてないので、
久々にこちらの
闇シリーズを
また書き始めたいなと思っています
◎前回はこちら↓最新話◎
2018年頃のお話です。
◎そのひとつ前はこちら↓◎
コティが1歳になった
2018年頃から、
我が家は
本当にしんどい状態になっていきました。
このあたりから
茨の道がスタートします
今後、また
続きを書いていきます
これまでの闇シリーズは
こちらから↓
【続く】