つい先日、
上島竜兵さんの訃報を受けて、
こんなブログを書きました。
上島さんの訃報を知る前夜、
渋谷にいた私は
「笑ゥせぇるすまん」の
謎のポスターを見て
上島さんのことを思い出していました。
しかし、振り返っても、
そのポスターを
どこで見たのか思い出せない。
残っている記憶では
どこかの書店で見たのですが、
その日私は書店など入っていません。
(結局、今も思い出せません)。
今となっては、
渋谷から帰宅して寝てから見た
夢だったのかなと思っています。
さて。
本日、徹夜明けで夫が帰宅。
夫はテレビディレクターなので、
夫の担当する番組でも
上島さんの訃報を報じました。
それに合わせて、夫はチームで
上島さんのこれまでの歩みや
人柄がわかるVTRを、
約30分という長尺で作りました。
そして先ほど、
録画していたそのVTRを
夫と一緒に見ていました。
そこで
衝撃的なことが起こりました
VTRの中で
過去のダチョウ倶楽部さんの
写真を使用した場面があったのです。
そこで私、
「え……この写真……」
と絶句。
※お写真、日刊スポーツ/アフロさま
から引用しております。
こちら、
ダチョウ倶楽部結成時の
昔のお写真です。
もう30年以上前のもの。
このお写真が
夫の担当したVTRでも
使われていました。
私が見たポスターの
喪黒福造をやっていた人。
まさにこの左側の
上島さんのお顔なんです。
もう見た瞬間びっくりで……
「え?え?
私が見たポスターの人、
この人なんだけど……
え?」
混乱。
夫も
「え?マジで?」
と絶句。
てことは、
たぶん私が
「渋谷からの帰り道にポスターを見た」
というのは、
やっぱり夢だったんだと思います。
だって
30年以上前の上島さんのお顔を
使ったポスターなんて
今ないでしょうし……。
それに
渋谷からの帰り道で
どこでポスターを見たのか
未だに全く思い出せませんし。
写真を見た時に
ちょっとゾクっとしましたが、
同時に
とても切ない気持ちになりました。
夫がチームで制作したVTRは、
上島さんの人柄や想いがわかって
とても良かったです。
(過去映像、過去資料、過去写真など
いろいろと許可を取るのも、
関係者のインタビューをするのも
本当に大変だったと思います)
もう絶版になっている
上島さんの著書も取り寄せて、
上島さんがどういう思いで
芸に向き合っているか、
印象的な言葉を紹介していました。
「嫌な仕事、やりたくない仕事でも
やらなきゃいけない場面がある。
怖くても意を決してやりきる」
「若手でも売れている人には
何か理由がある。
先輩だからって威張らないで、
若手からも学ぶ」
「世の中のイケてない側の人達が、
自分の姿を見て
腹抱えて笑ってくれれば、それでいい。
自分も何かの役に立っている」
そんな言葉が紹介されていました。
そういえば、
現役記者時代の現場でのこと、
またいろいろ思い出しました。
ダチョウ倶楽部さんのお家芸、
「どうぞどうぞ」。
これ、
現場でもやってくださるんですが、
報道陣も一緒に参加できるんです。
リーダーと寺門さんが
「じゃあ俺がやるよ」
「いや俺がやるよ」と
手を上げると、
まわりのリポーターさんや記者も
「僕が」「私が」と手を上げます。
そして上島さんが
「じゃあ俺が」と
言うと、
報道陣も含めその場にいる人が一斉に
全員で
「どうぞどうぞ」と振って、
上島さんが怒る。
また、上島さんが
怒って足を
「どんっ!」と踏み鳴らすと、
リーダーと寺門さんだけでなく、
まわりにいる報道陣も
一緒にジャンプします。
(私もジャンプしてました)
こんな感じで、
現場にいる報道陣全員を巻き込んで
笑わせてくれていました。
どうして私が
訃報を聞く前夜に
こんな不思議な体験?をしたのかは
わかりません。
ただ、
一記者、ペーペー記者の
私でさえいろいろ思い出したので、
現場で見た思い出を、
こうして残しておくことにします。