9月23日(木曜日)  晴れ 夜に一時、雨  ロンドン


8時、起床。9時、地下の階の食堂に降りて、朝食。辻教授や昨夜のテレビ関係者も、いっしょの席。僕の朝の挨拶の声が大きかったようで、教授に「声が大きいと、イギリス人は嫌いますよ」と言われる。……

午前中、手荷物の整理。その後、体操してシャワーを浴び、珍しく朝寝をする。快し。


午後、外出。このホテルの横の通りには、幾つかの店舗が散在。そこにイギリス特有の酒場パブの、小ぢんまりした一軒があって、入ってみるとランチも出る。レモネードと「シェパーズ・パイ」を注文。ひき肉や玉葱や人参を混ぜ、ポテトを載せて焼いたものだが、結構いける。イギリスの食べ物は、ある方面からは冷評を聴くが、どうしてどうして……。パリやローマでは、屋外に椅子やテーブルを出すカフェが多いが、ロンドンは気候のせいか、そうした風景が全くないことに、このパブを出たとき気付いた。


ホテルの近くから、巡回バスの2階の席に座り、今日は市内東部のシティ方面へ行く。2階席にいると、市内の様子が手に取るごとく見える。……セント・ポール大聖堂から、イングランド銀行や王立取引所へと、車窓の景色が変わるシティはビジネス街で、観光客の姿は少ない。三つ揃いの背広を着て、雨傘を抱えたビジネスマンたちが往き来する光景は、いかにもイギリスならではのものだ。この地域一帯は、古代からテムズ河の水運に乗って経済の集積地として栄え、その富をバックに強大な力を有した。王家すら立ち入りには気を兼ねる、特別行政区として扱われ、近代では世界経済の顔として在り続けた。……

シティの南東に「ロンドン塔」があり、近くで下車。この有名な建物を、一巡するだけで約2時間を要したが、それは決して愉快な時間ではなかった。中世に築かれた要塞が、やがて刑場や監獄と化して、多くの悲惨な挿話を生んだ歴史的痕跡を確認する時間は、訪問者を憂鬱にする。幾つかの塔や門、さらに処刑場跡は、白日下でも暗い。域内に設けられたレストラン・カフェで、喫茶して気分を変え、外部へ出た。……


「ロンドン塔」はテムズ河の北岸に建ち、その近くから南岸まで「タワー・ブリッジ」が架けられている。雄大な橋であり、眺望だが、大型船舶の通過する時間ではなく、二重橋の上がる光景は観られなかった。……この橋を徒歩で渡り、南岸の遊歩道を西方へと歩む。ここからのテムズ河や市街の眺めは佳く、観光客も見かけた。長い遊歩道を進むうちに、ふと夏目漱石の小説に『倫敦塔』があったことを思い出した。漱石とイギリスは、鴎外とドイツ、荷風とフランスなどに等しく、やはり"天の配剤"だったのだろう。……やがて、次なる橋の「ロンドン・ブリッジ」が見えてくる。この橋を渡って、また北岸へと戻り、最寄りの地下鉄モニュメント駅から乗車。西へ走って3つ目の駅で下車。駅近くのテムズ河沿いに、目的地のマーメイド劇場があった。時刻は、午後6時になっていた。……


チケット・オフィスで席を求めると、幸いにも1枚を購入できた。1ポンド18ペンス(換算すると1800円ほど)で、歌舞伎座一等席の半値。演目はシェイクスピアの悲劇『オセロ』だが、ホテル「セントリー」の1階フロント近くの壁面に張られていた、旅行者のための劇場スケジュール表を読んで、公演を知った。ロンドン市内にある主要劇場は約40。このマーメイド劇場は、ウエスト・エンドの劇場街から少し離れた場所にあるが、若い世代の観客が多いらしい。.……さて、入場口の手前の左側に、観客のための小さなカフェがあった。8時開演まで余裕があり、入って夕食。ハンバーガーと野菜サラダを食べ、人参の温かいスープを飲んだ。


マーメイド・シアターは、1階席だけの中規模の劇場で、全席が傾斜していて、全観客が舞台を見下ろす。やや後方の下手寄りの席だったが、この夜は、ほぼ満員。シェイクスピア劇は、明治このかた日本社会に浸透して、主要作品が親しまれているから、その粗筋(あらすじ)を事前に読む必要もない。そこがフランスの古典劇とは違うところだ。欧州の劇場の椅子に座っても、より楽な気持ちで開幕を待てる……そのことを感じた。定刻どおり開演。当夜の『オセロ』は、その現代的な演出が面白かった。休憩1回、第1部の幕切れは、オセロとイヤゴーが抱き合い、彼らのニガイ惨憺たる友情が示される。第2部のデズデモーナ殺害の場が、いま話題を呼んでいるらしく、客席も緊張。デズデモーナの上半身を全裸にし、夫婦間の肉感が漂う実感的な演技。出演を拒否した女優もあるよし。僕は、ローレンス・オリヴィエの映画も観ているが、デズデモーナの白い裸身を見たのは初めて。が、オセロの自害には、さらに驚いた。それはハラキリだった! ここにも昨秋の三島事件の余波があるのか? 客席は盛り上がり、観客は楽しんでいた。意志と熱情が激しく交錯し、サワリを絞って拡大するダイナミックな舞台だった。……パリで観た『ブリタニキュス』の、意識を鋭く重ねた、スタティックな洗練された格調が、なぜか思い出された。フランスの古典劇に比べると、遥かにイギリスのシェイクスピア劇は大衆的で、しかも今日に生きていると思った。11時、終演。万雷の拍手。

( Directed by Peter Oyston and Julius Gellner   Othello Bruce Purchase   Iago Bernard  miles )


地下鉄でホテルに向かう。この時刻になると、車内には人影が少ない。前方に座っている、1人の若者の手首に、青い刺青が覗いている。ハッとした。パリでは、若者の刺青を見なかった。ロンドンという街には、ハッとさせるものがある。古くて立派な堂々たる都会だが、不思議に妙に新しく、暗鬱な野蛮な影もある。いわゆる夜の女も多い。この車内にも、その影がある。……しかしイギリスの、恐らく一筋縄ではいかない複雑な階級社会の底辺で、目前の刺青の若者も、影のような女たちも、風に遊ばれる、なよ草のように生きている。瞬間、そういう生き方もあるのだ、と思った。わびしい島で、なよ草のように生きるのも、いいなァ……僕は、もう一度、あのアイルランドに行きたいと、なぜか思った。


12時過ぎ、ホテル「セントリー」へ帰る。


◎写真は   ロンドンのマーメイド劇場の内部 (亡母遺品の絵葉書)