9月24日(金曜日)  曇り のち晴れ 夜に一時、雨  ロンドンーケンブリッジーロンドン


やや遅く起床。9時半、朝食の刻限に間に合う。地階の食堂では、辻教授と日本人の同行者数人が朝食を済ませ、紅茶を飲んで居られた。教授が「イギリス人が紅茶を嗜好するのは、インドから大量に輸入して、植民地として維持するためだった、と言われている。インドの確保には、ロシアとの対抗があったんです」と、周囲に話して下さる。教授とグループは、今日から違うホテルに移るよしで、挨拶を交わして別れた。……


11時、外出。曇り日で、少し寒い。今日は、ケンブリッジ大学を見物する予定。まず地下鉄で、市内の東北のリヴァプール・ストリート駅まで行く。そこから12時36分発の列車に乗る。車内には学生が多かった。いずれもアングロ・サクソン系らしく、紺色の背広を着て、気位が高い感じ。アメリカの学生のような気安さは無い。13時45分、ケンブリッジの駅へ着く。構内で、パンを買って食べた。


駅前から、バスに乗る。大学まで徒歩も可能だが、バスだと僅か15分。下車して域内に入り、広々とした芝生の広がる中の、長い大学道路を歩く。すれ違う白人の学生や学内の関係者たちもいたが、こちらを見てもニコリともしない。と背後から、アジア系とおぼしき若者1人が、英語で声をかけてきた。彼も、ここで東洋人に遇うのが、たぶん珍しかったのだろう。訊けばマレーシアから来た旅行者で、彼の友人が留学中で、その寄宿舎に泊まっているのだという。日本からだと答えると、親しみやすい若者で「東京には友だちがいる。学内を見物するなら案内するから、これから寄宿舎へ行かないか」と誘ってくれた。それは好都合だと思い、親切を謝して、近くの寄宿舎へ同行。

友人の留学生は、笑顔で迎えてくれた。室内には2段式のベッドが置かれ、これなら故国から誰が来ても泊まれる。設備が整っていて、簡単な食事を用意できるコーナーもあり、部屋の主の留学生は、すぐに珈琲を淹れてもてなした。彼は「ここの環境は素晴らしい。日本の大学は、どうですか」と訊いた。僕は、首を振った。暫く談笑していると、ドアをノックして、ジャマイカからの留学生も顔を見せた。やがて、マレーシアから来ている若者に促されたので、主の留学生に礼を言い、ジャマイカの彼とも握手して、外へ出た。

広大な域内には、多くの立派な建物が散在。その内、キングス・カレッジ、トリニティ・カレッジ、セント・ジョンズ・カレッジの3つを巡った。トリニティの大講堂には、ニュートン、ベイコン、テニスンの像が置かれていた。これらの建物の間を縫うようにして、長々とケム川が流れ、幾つかの橋が架かる。パントと呼ばれるボートも浮かび、この大学名物の美しい景色を眺める、外部からの見物人も多い。僕は「日本の大学にも、こうした川が流れていると良いのに……」と羨ましく感じた。

バス停まで、マレーシアの若者が送ってくれる。「ケンブリッジの街には、学生が1万人もいるんです」と言って、彼は笑った。……


16時26分発、ロンドン行きの列車に乗る。対面して4人掛けの席で、窓際には僕と、30歳台半ばとおぼしきイギリス青年が、黙って向かい合う。長谷川如是閑の見聞記にあった「イギリス人は無愛想だ」という言葉が、ふと思い出された。沈黙が続く。と、ロンドンの街が見え出した頃、彼が一言を発した。「君は、イギリスが好きかい?」と! 暫し、僕は沈黙。やがて答えた。「 l dont like  England 」と! 彼は、破顔一笑。やがて下車する直前、旅行者に握手を求めてきた。握り返すと、彼の握力の強さに圧倒された。……


17時40分、リヴァプール・ストリート駅に着く。そこで地下鉄に乗り換え、ピカデリー・サーカス駅へ。広場の近くにインド料理のレストランがあり、思い切って入る。ロンドンは国際都市で、各国多様の料理が味わえるようだが、インドから渡ってきた人々も多いから、本場並みのメニューに事欠かない。。茄子のカレーを注文。小ぶりなひと皿が運ばれたが、スパイシーな煮込み料理で、ことのほか美味。……夕食中、先刻の列車内での青年の顔が思い出された。イギリス人は無愛想だが、しかし、複雑な味があることを噛み締めた。


食後、広場の周辺を散策。この一帯は、パブやレストラン、ビリヤードやゲーム・ショップ、劇場や映画館が林立し、アムステルダムに等しいポルノ上映館もあり、どぎつい雑誌や写真の販売店も多く、或る種の猥雑で騒然たる雰囲気を醸している。この「紳士の国」の、隠された野蛮なエネルギーが燃えている。長谷川如是閑は、イギリスには日本のような公認された遊廓が無いので、ピカデリー・サーカスの路上こそが遊廓なのだ、と喝破している。

それは現在でも変わらないのではないか!


夜の8時を過ぎた頃、細雨が落ちてきた。タクシーを拾って、リージェンツ・パーク近くのホテルへ帰る。11時、就寝。


◎写真は   ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ、クレア・カレッジとケム川 (亡母遺品の絵葉書)