JRまたは地下鉄南北線の王寺駅から歩いて10分ちょっとの所にある西福寺。
奥まっていて少しわかりにくい場所にありますが、北区立柳田小学校を目指していき、門を前にして、後ろを振り返って、横断歩道を渡って、小さなコンクリートの公園の裏の道沿いにあります。

西福寺の住職さんが、昭和48年(1973年)、サイパンを慰霊に訪れた時に、洞窟の中で血にそまった土砂や遺骨を発見し、それを日本に持ち帰って弔い、彩帆(サイパン)観音を建立したそうです。
サイパンの戦いが行われ、サイパン島の日本軍人の玉砕(日本人の民間人も含む)があったのは昭和19年、1944年7月。1973年って、それから30年近くたっています。それなのに、洞窟の中に玉砕した人達のものであろう血が残っているって・・・。どれだけ大量の血が流されたのか・・・。絶句します。
犠牲になられた方々のご冥福をひたすらお祈りしました。合掌。
西福寺は荒川のすぐ近くの、民家の中に立つ、広々としたお寺です。静かな場所です。このような静かな場所に、サイパン関連の慰霊の像があるとは、最近までまったく知りませんでした。
こんにゃくえんまのサイパンの鐘といい、太平洋戦争関連の史跡は、意識して探さないと、伝えていかないと、あと10年もすれば忘れさられて、あるいは土地開発などで移設になったり消失したりしないかと心配になってしまいます。
そして、王子駅の方に戻って、装束稲荷神社をお参り。
ここの場所は説明しにくい・・・。住所は北区王子2-30-14。王寺駅から歩いて5分程度。
この装束稲荷神社は、近くにある東京屈指のパワースポットといわれる王子稲荷神社の摂社で、狐の行列で有名な神社です。
大晦日に日本中の稲荷の狐たちが王子に集まって、この装束稲荷神社で身なりを整え、きれいな着物に着替えてから、王子稲荷神社に向かうという言い伝えがあります。王子といえば狐なのです。
↑線路下の通路にも、狐さんがいっぱいです~。
安藤広重の「王子衣裳えのき 大晦日の狐火」という浮世絵がありますが、そこに描かれているのがこの装束稲荷神社。
えのきの木も、切られてしまったけど、あります。
そんな歴史ある素敵なミラクルスポット、装束稲荷神社がなぜ戦跡なのかというと。
昭和20年3月の東京大空襲の際、東京の下町は火に包まれました。が、その火はこの装束稲荷神社までで延焼が止まったのです。それで、王子稲荷神社は火伏の御守りが有名です。
お狐さま、どうか、二度と東京が空襲を受けることがないように御守り下さいとお願いしてきました。
おまけで王子稲荷神社。













