多くの掩体壕が残る茂原

千葉県、JR新茂原駅と茂原駅の間の広大な平野に、かっては茂原海軍航空隊が置かれていました。

そして、茂原には、今でも、零戦を隠した掩体壕がたくさん残っています。
戦争末期に本土防衛のため戦闘機を温存しようとたくさん掩体壕を作ったということで、一つの地域にこれだけの数の掩体壕が残されているのは九州以外では茂原だけではないでしょうか。


JRで新茂原駅まで行き、あとはひたすら歩きます。交通手段はないと思ったほうがいいです・・・。

茂原の全ての掩体壕を見て回ると、徒歩で2時間くらいかかりますので、飲み物・小腹が空いた時に食べれる物を持参でいきましょう。途中でへばる可能性があります・・・。休憩できるお店はほぼないと思ったほうがいいです。バスもほとんど通らず、タクシーも流しでは掴まりません・・・。

特攻第三御盾隊が編成された
茂原海軍航空隊は、ラバウルやソロモン、フィリピン戦を戦ってきた歴戦の二五二空が属しました。

そして本土防衛の拠点としての役割を担っていきます。しかし、その後いろいろな部隊と合体したり派遣したりで、複雑な構成になっていくのですが。
そして、茂原海軍航空隊からは第三御盾隊という特攻隊が、沖縄へ向けて出撃しています。零戦だけでなく彗星や銀河などの爆撃機も含まれた特攻隊でした。
サイパンを攻撃した第一御盾隊、硫黄島に特攻した第二御盾隊に続く、第三御盾隊。

 

 

第三御盾隊にも、多くの飛行予備学生十三期が含まれていました。
第三御盾隊については、隊員名はわかっていますが、関連資料が少なくて、隊員の氏名と幾人かが残した遺書を見つけられたのみ。沖縄方面(奄美大島上空ともいわれる)で敵艦隊に攻撃をしたという記録があります。

こうしてみると、どの海軍航空隊も、昭和20年に入るとほぼすべての航空隊で特攻隊が編成されており、切ないものがあります。

 

点在する掩体壕たち

茂原海軍航空隊の本部は、現在の茂原中学校や小学校のある場所で、跡は残っていません。
現在三井住友化学の工場がある前の道路が、当時の滑走路跡とされています。


本土防衛ということで、戦闘機を隠す掩体壕を急いでたくさん作ったわけですが、昭和19年頃から掩体壕作りが急ピッチになります。掩体壕建設には徴用工や地元の小中学生も動員されたということで、かなりの重労働を課されたのではないかと思います・・・。

茂原の掩体壕は、個人宅の敷地内にある掩体壕もあって、全部を撮影はできなかったのですが。

 

茂原市として「掩体壕」と看板を掲げて史跡案内しているのは一個だけですが。

 

新茂原駅~茂原駅の間の広い野原に、多くの掩体壕が残っています。

住処や物置小屋になっているものもあり、個人の日本庭園の中にオブジェのように一体化しているものもあり、鬱蒼とした林の中に忘れ去れたようなものもあり、水田の中にまるで森の鎮守のように置かれたものもあり・・・。

 

 

 

現在11点現存しているそうですが、私は10点しか見つけられなかったです。
 

今では人間の営みの一部になって、戦争の記憶を忘れたような掩体壕たち。
それはそれでいいのかもしれません。
物置小屋になったり、洗濯物干し場になったり、自転車置き場になったり、居住空間になったり、本来の作られた目的からすっかり逸脱している掩体壕たちですが。
戦争の記憶をとどめずに忘れ去って、穏やかな時間を過ごせることは、茂原の掩体壕たちにとって幸せなことかもしれません。

 

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