4月7日に天皇がご夫婦で硫黄島に慰霊に行かれるということです。

硫黄島には現在自衛隊と、遺族の許可を得た方しか訪れることができないのですが。

元自衛隊の知り合いは、硫黄島に行った時に「いろいろなものを見た・・・」と言っていました・・・。

天皇が訪問した時には硫黄島の様子も報道されるであろうと思うので、現在どうなっているのか見られるかな。

そして、硫黄島にある、第一御盾隊(みたてたい)と第二御盾隊の慰霊碑も映されるだろうか・・・。

 

第一御盾隊

第一御盾隊はアメリカ軍に占領されてしまったサイパンとテニアンに攻撃を加えるため、1944年11月7日、硫黄島から飛び立ちサイパンのアメリカ軍に攻撃をするのですが。この第一御盾隊の零戦隊のすさまじい戦いぶりは戦後になって判明します。

B29の2機を破壊し、7機を大破し、しかも、零戦隊長の木村謙次中尉は零戦の機銃を撃ち尽くした後、サイパンの飛行場に強行着陸して零戦から降り、ピストルでアメリカ軍に殴り込みをかけて戦死したという、とんでもない勇猛さをみせました。敵のアメリカ軍もびっくりして、その勇敢さに、木村中尉のご遺体を敬意をもって埋葬したということです。

この第一御盾隊も、特別攻撃、いわゆる特攻とされています。

 

サイパンからB29が飛び立ち日本を空襲するようになっていましたから、なんとか止めなくては!日本の人達を空襲から守らなくては!と、必死だったのでしょうねえ・・・。

 

でも、木村中尉、まだたった22歳だったのです。22歳の若者に、対空砲火がめちゃくちゃ打ち上げられる空の中を飛びぬけ、零戦の機銃を撃ちまくり、着陸後は単身ピストルでアメリカ軍を攻撃って、どうやったら、そんな勇気というか精神力が出てくるのだろう・・・。合掌。


第二御盾隊

第二御盾隊は1945年2月21日、香取海軍航空隊から飛び立ちました。彗星、天山、零戦の戦爆連合の特攻隊です。

こちらは、硫黄島へ向かって飛び立ちました。硫黄島を占拠しようとしていたアメリカ軍の戦艦を攻撃するために。
第二御楯隊を構成した六〇一空の搭乗員達は、彗星や天山、零戦の練度が高い搭乗員で、かなりハイレベルな技術を持った精鋭でした。

だから、特攻が命じられた時(命じたのは、アノ人ですよ、海軍三大恥の一つと言われるダバオ誤報事件の寺岡謹平中将・・・・)、この隊のレベルならば特攻でなくても、通常攻撃でも十分戦果を挙げられる、アメリカの戦艦を沈められると大尉達は反対したそうです。

しかし、特攻命令は覆らず・・・。

艦爆機の村川弘大尉を特攻隊長として、八丈島経由で、硫黄島のアメリカ艦隊を攻撃に向かいます。

村川弘大尉は海軍兵学校卒70期。そう、菅野直大尉と同期です。

 

第二御盾隊は、確実にアメリカの艦船を沈めるために、綿密な計画を立て、攻撃を時間差で複数回に分け、複数方角から波状攻撃します。目的達成のために練りに練られた作戦だとわかります。

この攻撃が成功し、アメリカの空母ビスマルクシーを沈没させ、サラトガも大破。ビスマルクシーは、アメリカの空母が沈没させられた最後の事例に今でもなっています。
 

沖縄戦の準備のため、本土防衛の時間を稼ぐため、硫黄島にいた将兵達にはなるべくアメリカ軍と激しく戦い時間稼ぎをしてくれと命令が出ていました。そんな絶望的な状態の中で、第二御盾隊がサラトガやビスマルクシーを攻撃して火の手があがった様子を見て、硫黄島で戦っていた日本軍たちはとても勇気づけられたという記録が残っています。
 

第二御盾隊の成果はすごい・・・。

でもね・・・。

あまりに激しい、そして成功した攻撃でアメリカ軍の戦死者は海に投げ出されて低体温症で死んだ人も含め、とんでもない多数になりました。

そして、零戦と違って、彗星(艦上爆撃機)、天山(艦上攻撃機)には搭乗員以外に偵察員や電信員も通常搭乗するので、第二御盾隊では総勢60名が、この攻撃で命を落としたことになります。

特攻にいくのに偵察員や電信員は乗る必要ないからということで押し問答があったようですが。これまで一蓮托生の思いで戦ってきたのだから、一緒にいく!という偵察員や電信員達の熱望を無下にすることもできず、共に飛び立ったということです。

とても勇敢に戦って戦果をあげてくれたのだけど、切なく、悲しく、やるせない作戦です。

 

ただ、機体の不備で八丈島に不時着を余儀なくされて、整備後飛び立とうとしたところ、特攻作戦が中止になったことで、命が救われた第二御盾隊の人達が数名いたことは救いです。

第二御盾隊の零戦操縦員だった長先幸太郎(ながさき こうたろう)氏が戦争を生き抜き、手記を残してくれていて、第二御盾隊の様子がよくわかります。

「神風特別攻撃隊第二御盾隊、帰還せり」『零戦、かく戦えり!搭乗員達の証言集』(文春文庫))

長先氏が特攻に飛び立つ前夜、死とはどのようなものか、死後の世界とはどのようなものかと悶々と考えるシーンは胸に迫るものがあります。とてもリアルです。人間的です。生死を超越してお国のために・・・と、すっきりできるわけもないのです。

 

第二御盾隊が飛び立った香取航空隊跡も訪れたので、その様子を近日中にアップしたいと思います。