横浜海軍航空隊(通称「はまくう」)の跡を訪ねてきました。
ラバウルのリヒトホーフェン、笹井醇一中尉の義兄が飛行隊長をしていた横浜海軍航空隊。
その義兄がソロモン諸島のツラギで、急襲したアメリカ軍により玉砕してしまったという話を、笹井中尉編で書きましたが。
その横浜航空隊跡が、神奈川県横浜の富岡総合公園の中にあります。
住所は、神奈川県横浜市金沢区富岡東2-9。
最寄り駅は横浜シーサイドラインの南部市場駅。
私はその日、横須賀海軍航空隊跡めぐりもしたので横須賀からバスで行きましたが。
緑いっぱい、桜の木いっぱいの公園です。
富岡総合公園の、桜の木に囲まれた道を歩いていくと。
横浜海軍航空隊の当時の門がそのまま残っています。
表札は「元」って書いてありますから戦後のものですが、門そのものは当時のもの。
感慨深いです。
そして門を過ぎてしばらく進むと。
横浜海軍航空隊の碑があります。
碑の裏には、昭和17年8月7日未明ソロモン群島ツラギにおいて米軍の反攻上陸を受け死闘の末宮崎重敏司令外五百余名全員が玉砕したと刻まれています(涙)。笹井中尉の義兄も、この時に命を落としたのですね。
碑の表の文を書いたのは、あの、草鹿任一元海軍中将です(戦争時ラバウルにいた)。
ツラギの戦いで亡くなった横浜海軍航空隊の人々の魂よ、安らかに眠れという願いが込められています。
そして、この碑の少し先には
「浜空神社」の石柱があり。
鎮魂の碑があります。
浜空神社自体は、別の場所に移動になっているのですが。
(追浜の雷神社に遷移されているということなのですが、この日は時間がなくて行けなかった・・・)
すぐ横には桜の木についての説明の碑が。
周りには桜の木が植えられていて、横浜航空隊時代に植えられたものらしいのですが、全部の桜がそうなのかはよくわからず。
鎮魂の碑には、造花だったけれどお花がきれいに供えられていて。
日本酒も供えられていました。
今でもきれいに掃除されていて、嬉しくなりました。
ここを訪ねたのは2月の寒い頃でしたが。
桜の季節には、このあたりは桜でいっぱいになると思います。
霞ケ浦航空隊や筑波航空隊と違って、横浜航空隊はあまり映画や小説になっていないし。
有名どころというわけではないかもしれないけれど。
横浜航空隊の人達が命を散らしてしまった戦いは、日本軍とアメリカ軍との激しいソロモン攻防戦の始まりとなり、日本海軍航空隊が終焉へ向かう道の最初の一歩となったのでした。
合掌。
《追記》
横浜航空隊のツラギでの戦いぶりについては、秦郁彦氏の『太平洋戦争航空史話 下』の中の第二十七章「横浜航空隊の最後」(中央公論新社)に詳しく書かれています。「玉砕」といっても、ただ壊滅されたわけではなく、横浜航空隊の人達とツラギにいた陸戦隊の人達は懸命にアメリカ軍と戦いました。その激烈な戦いぶりについて、秦氏が詳しく書いてくれています。








