ソロモンでアメリカの反攻が始まる

ニューギニアのポートモレスビーを攻略(MO作戦)の一環として戦われた昭和17年(1942年)5月の珊瑚海海戦の前に、日本海軍はガダルカナル島の隣のフロリダ諸島にあるツラギ島に水上基地を作って、零式水上偵察機を置いて哨戒・偵察業務にあたりました。ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島のフロリダ諸島は、ほとんど無血で占領できました。
 

日本海軍は陸戦隊という海軍の上陸部隊を置いて守ることにしました。ツラギ島の向かい側に見える、ガダルカナル島のルンガ川河口付近が飛行場を設置するのにちょうどよい土地だとわかり、日本軍はガダルカナル島に上陸し、せっせと飛行場を作っていました。
 

と・こ・ろ・が。
この頃には既にアメリカ軍は、ソロモン諸島で日本軍に対して大反攻に出るウォッチタワー作戦の準備を着々と進めていたのです。偵察機により、日本軍がガダルカナル島にちょーどいい感じの飛行場を作っていることを認めたアメリカ軍は、それ、もらおうと、ほとんど完成していた飛行場を奪おうと計画します。ガダルカナル島に飛行場を作られたら、日本軍がますますソロモン諸島海域の制海権、制空権を強固にし、アメリカとオーストラリアの連携を遮断してオーストラリアを孤立させてしまうし、アメリカ軍としてはガダルカナル島に日本軍に飛行場作られるなんて容認できないわけです。
 

で、いよいよウォッチタワー作戦開始。
昭和17年(1942年)8月7日未明、ツラギ島にアメリカ軍の艦載機が襲来したのを皮切りに、ガブツ島、タナンボゴ島にもアメリカ軍が攻撃。あっという間に、守っていた日本海軍は壊滅的になり、ほとんど玉砕状態だったと伝えられています。アッツ島やサイパン島のずっと前に「玉砕」となってしまった島があったのですねえ・・・。
 

ツラギを攻略してすぐ、アメリカ軍はガダルカナル島にも上陸、日本軍がほとんど完成させていた飛行場を奪い、敵がそんな早く、すばやく攻めて来るなんて全く思っていなかったガダルカナル島の日本軍は壊滅になります。そして、この飛行場奪還を目指して、とんでもない消耗戦が始まっていきます。歴史に恐ろしい名を残すガダルカナル攻防戦の始まりです。
(ちなみにこの飛行場をアメリカはヘンダーソン飛行場と名付けていますが、ヘンダーソンはミッドウェー海戦で戦死した爆撃機のパイロットの名前です)



ツラギの戦いで笹井中尉の義兄が戦死

ツラギ島には横浜海軍航空隊(はまくう)が進出し、水上偵察を行っていましたが。アメリカ軍の攻撃で壊滅しました・・・。

その横浜海軍航空隊の飛行隊長としてツラギにいたのが、笹井中尉の義兄、田代壮一少佐でした。田代少佐も玉砕してしまいます。
前日の8月6にはアメリカ軍が異常に多くの無電を交わしていることをラバウル航空隊が捉え、ツラギ守備隊に警告を与えていたようなんですが。これほど大規模に、素早く、アメリカ軍が襲来してくるとは思っていなかったらしい・・・。
日本の大本営なんて、アメリカ軍がソロモンで反攻に転じてくるのは昭和18年半ばくらいだと推測していたっていうのだから、ほんと、大本営の見識を疑いますね、私は。

復讐に燃える笹井中尉

アメリカ軍がガダルカナル島に上陸した報を受けて、すぐラバウルから爆撃機や零戦が攻撃に向かいます。笹井中尉も向かいました。この日の初ガダルカナル攻撃で、坂井三郎氏は負傷し、ラバウルを離れることになるわけです。

義兄を失い、負傷した坂井さんが自分の隊を去り、突如始まったガダルカナル島攻撃の激烈さによる疲労で、笹井中尉はかなり憔悴していたようです。『サムライ零戦記者』を書いた吉田一氏によれば

「酒の酔いを借りて忘れようとする彼の前には、すでに二、三本のビール瓶が空になっていたが、酔えもせず、頬はいっそう凄みを帯びて蒼白となり、目が異様に輝いていた」

と、笹井中尉の様子を描いています。
「義兄と坂井の復讐を遂げようとする、執念の炎が燃えさかっていたらしい」

と、吉田氏は笹井中尉の暗く光る眼を見ながら、感じていたそうです。

零戦でラバウルからガダルカナルまでは片道4時間かかる!

ラバウルからガダルカナルへの攻撃が始まってから、零戦搭乗員の疲労ははんぱかなったようです。
ラバウルからガダルカナル島のルンガまで約1200キロ。零戦では片道4時間近くかかる。往復8時間の往復飛行!

その上、ただ行って帰ってくればいいわけではなく、ガダルカナルまで飛んで、そこで敵戦闘機と空中戦して(でも燃料の関係で時間は限られているからせいぜい30分以内)、ヘロヘロになった後また4時間かけてラバウルまで帰らないといけないわけです。加えて、艦爆隊を守りながら飛行することも多かったのです。
これ、めちゃくちゃでしょう~!?
いくら腕がいい零戦パイロットでも、こんな無理な作戦強いられて、疲労蓄積しないほうがおかしいですよね。



(↑地図はWikiからお借りしました)

 

零戦のアドバンテージの一つとして挙げられる航続距離の長さ。増槽をつければ、二千キロくらい飛行できます。それが仇となって、往復8時間も飛ばないといけない作戦が実行されていくのでした。いくら零戦搭乗員が優れた技術やファイティングスピリットを持っていたとしても、空戦する前にまず千キロ飛ばないといけないって、これは無理ありすぎですよねえ・・・。
ラバウルからでは遠すぎるってことで、その後ブインなどにも基地が作られて、ガダルカナルまでの飛行距離を少し短縮できたようですが。しかし、ラバウル以外の基地は整備も宿舎も貧弱でしたから、搭乗員達はゆっくり休むことはできなかったかもしれない。

ガダルカナル攻撃が始まってから
「爆撃機も戦闘機もどんどん消耗していった。もちろん後を追って補充もされるが、それよりも消える方がはるかに早かった。あんなに強かった搭乗員も、連日の攻撃の疲労にたえかねて、かえらぬ者の数は増すばかりで、ベッドの片づけられた寝室も、櫛の歯をひいたような食卓も急にまばらになっていった」
と『サムライ零戦記者』の中で吉田一氏は書いています。



悩める笹井中尉


笹井中尉も相当心身ともに疲れていただろうと思うのです。
いくらファイターと呼ばれる笹井中尉であっても。

「廊下の奥で、いきなり、物の壊れる激しい音がした。(中略)しばらくすると、手荒く酔った笹井中尉を、山下大尉がなだめながら連れてきた。中尉は、部屋の入口に立ちはだかったまま、恐ろしく鋭い目で私をにらみ下していたが、私だと気が付くと、急に相好をくずし、「よう珍しや」と叫ぶと、山下大尉を振りはなして私に手を差しのべ、危なげな足を踏みしめながら私の横に座りこんだ」
「興奮した彼の目が、うるみを帯て、薄暗い電灯の明かりに異様に光っていた」
「どこか投げやりで、やけぎみなふうも見えて、気になってならなかった」
『サムライ零戦記者』で吉田一氏は、笹井中尉の悩まし気な姿を描いています。

義兄が戦死し、強い絆で結ばれた坂井三郎氏が去り。
笹井中尉は、復讐に燃えながらも、心も体も疲れていたでしょうねえ。
過労と視力の低下を感じていたでしょうねえ。(涙)。

笹井中尉の最期
 

そして、いよいよ、笹井中尉の最期の日がきます。
昭和42年(1942年)8月26日。その日は奇しくも笹井中尉の26歳の誕生日でした。
ガダルカナル攻撃に向かい、零戦隊分隊長として戦っていましたが、ついにアメリカのF4Fワイルドキャットとの空中戦の最中に撃墜され、ルンガ沖に墜落してしまいました。

笹井中尉の機を撃墜したのは、アメリカ海兵隊のカクタス航空隊、マリオン・カール大尉らしいです。カール大尉はアクロバット飛行が得意で、笹井中尉も互角に戦っていたようですが、ついにエンジン部分を撃たれ撃墜されてしまったのでした。

笹井中尉はリヒトホーフェンの撃墜数80を超えることなく、ソロモンの空に散華してしまいました。
「彼(笹井中尉)の戦死の報を聞かされたとき、基地全体が息を引き取ったかと思われるほど冷たい哀愁につつまれていった」
と『サムライ零戦記者』で吉田一氏は書いています。
ラバウルのリヒトホーフェン、零戦ファイター、笹井中尉の戦死は、ラバウル航空隊の人々を悲しませたのでした。

死後全軍布告で二階級特進し、少佐。

笹井中尉は最期の瞬間、ルンガ沖の海に落ちていく瞬間、何を思ったのでしょうねえ。
台南空で坂井三郎さんに鍛えられながら、零戦ファイターとしての腕を上げていった頃のことが、坂井さんと零戦の翼を並べて大空を飛んでいた頃のことが、心に浮かんだのではないだろうか・・・と勝手ながら想像しています。


笹井醇一中尉を知るためにお勧めの本


豊田穣著『新・蒼空の器 大空のサムライ七人の生涯』(光人社NF文庫)
この本は海軍航空隊の死後二階級特進した搭乗員を7人とりあげて小説として書いていますが、取り上げた7人全て、私はファンなので、大好きな一冊です。
笹井中尉については「撃墜王 笹井醇一の生涯」が入っています。
ただし、あくまでも小説です。大部分事実に基づいているけれど、笹井中尉の最期は、事実ではなくフィクションですね。でも、そうであってくれたら・・・という最期かもしれません。
豊田さんが海軍兵学校同期の鴛淵孝について書いた『蒼空の器 若き撃墜王の生涯』にも、笹井中尉は登場しています。

吉田一著『サムライ零戦記者 カメラが捉えた零戦隊秘話』
坂井三郎さんと笹井中尉の絆、ラバウルで直接みた笹井中尉の姿が、鮮明に描き出されています。

しか~し。吉田さん、駐ラバウルの報道班のはずなのですけども、しょっちゅう女の宿(つまり、慰安所ですな)ばかり行ってまして・・・。いいのか、こんなこと書いて本に出してしまって・・・。まあ、あの時代、戦場では当たり前だったのかもしれませんが。吉田さんの女の宿入りびたり状態は、在ラバウルの軍上層部にも知れ渡っていたというのだから、ある意味すごいわ・・・。

笹井中尉が登場している映画は、私が知る限りないと思うのですが。
ただ、笹井中尉を撃墜したアメリカのカクタス航空隊のカール大尉をモデルに描いたアメリカ側の映画はあります。
「太平洋航空作戦」(原題FLYING LEATHERNECKS)1951年。LEATHERNECKSとは海兵隊の意味だそうです。ジョン・ウェインが、カール大尉をモデルにしたと思われる大尉を演じています。ただ零戦は撃墜されて地上にある以外、ほとんど出てこないし、ラバウル航空隊も出てこない。F4Fワイルドキャットはたくさん出てきます。空戦っぽい映像はあるのだけど、零戦と戦っている様子は遠景でしか映らずよくわかりません。ただ、ガダルカナルを攻めることは、アメリカ側にとっても大変だったのだということがわかる映画です。
私はアマゾンプライムビデオで見ました。日本語吹替版ならば、プライム会員ならば追加料金なしで見れます(2025年3月23日現在)