ハイドンの演奏していたホール |  榎戸ニ幸ブログ
アイゼンスタッド市にある
エステルハージー城にて演奏させて頂けました。

エステルハージ家は、中世から続く
ハンガリーの貴族であり、いくつもの分家があります。
17世紀からハプスブルク帝国、
オーストリア=ハンガリー帝国末まで、
ハンガリー王国最大の大地主であり、事業家であったそうです。

交響曲の父と呼ばれる著名な作曲家
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、
エステルハージ家に楽長として仕えました。
1761年、ハイドンはエステルハージ・ミクローシュ・ヨージェフに雇われ、ミクロージュ・ヨージェフの孫であり後継者であったエステルハージ・ミクローシュのもとで長く働きました。ミクローシュの後を継いだ息子のエステルハージ・アンタルは音楽にほとんど関心がなく、ハイドンは名ばかりの楽長となり、旅行先のイギリスで大半を過ごすこととなります。アンタルは数年で亡くなり、次のエステルハージ・ミクローシュのとき、再び楽長として仕え、主にミクローシュの妻でハイドンの友人であったマリア・ヨーゼファ・ヘルメネギルド(1768–1845)の聖名祝日ミサ曲を、毎年作曲をしました。老齢だったハイドンは、1809年に病で没するまでこの仕事を続けたとの事です。

そんなハイドンが演奏していたとされる
ホールで演奏できました事
とても恐れ多いのですが
たくさんの皆様に遠方よりいらして頂き
満席になりました事、
この場を借りて御礼申し上げます。
有難うございました(^^)

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