交通事故抑制の切り札
黄金律(英Golden Rule)
Wikipediaの解説によれば、黄金律とは、「多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である」と説明されている。
この考えとよく引き合いに出されるのが「自分にしてほしくないことを人にもしない」という、これも宗教的な
格言で、日本人としてはこの表現のほうが馴染みがあるかもしれない。
比較して導き出せるのは、黄金律には積極的な態度を促す理解があるということ。
「自分にしてほしくない…」と言うことを意識すると、もちろん、あおり運転などはもってのほか
無意味なパッシングやクラクションについても同様である。
では「自分にしてもらいたいこと…」と何が違うのか。
前者は自分の必要だけに限定されるのに対し、黄金律は他の人の必要のために進んで行動するという意識が関係する。
歩行者を優先する、相手に道を譲るetc … 結果的にゆとりのある運転の仕方につながり、総じて周囲に同じように
行動する意識を促す。
あたらめて交通法規の表現を見てみると、その根底には黄金律の考え方が根付いていると感じる。
黄金律は自分以外の人のことを意識させる。
「自分がこうしてほしいと嬉しい。相手にもそう思ってもらえたらもっと嬉しい」
残念ながら、こういう意識のことをある人は「自分の損になる」としか受け止めようとしない。
誰もよりも前に、誰よりも早く、その目的の達成のために周りを阻害する事があったとしても、自分が得をすればよい。
感情的な原因による事故とはそういう精神から生まれる、防ぐ事が可能な事故なのである。
結局、黄金律を意識する事で結果的に得をするのは自分自身だということに気付くべき。
その理由は深く考えるまでもなく見えてくる。
事故 → 病院 → 警察 → 裁判 → 加害者責任 → etc…
感情をコントロールすれば、無意味な時間やお金、またそれに付随する人生の損失を防ぐことが出来る。
etc…の中にどれほど多くの損失となることが隠れているか、今一度考えることで意識は違ってくるはず。
誰も事故を起こそうと思って起こしている者はいないと信じたい。
ただ、現状を見るにつけ、「事故を起こしても構わないと思っているのか」と感じてしまう風潮が
今の社会には見えてしまうようで … 一抹の悲しみを覚える人が一人でも多い事を願う。
交通事故を0にすることは決して出来ない。だれもが相手のことを考えて運転出来る人ばかりでもない。
でもここで書いたように抑制する事は可能である。車のハンドルを握る時、自分に言い聞かせるだけで良い。
交通安全の標語に、「黄金律」という言葉を使うのはどうだろうか。
【考えよう 自分の運転と 黄金律】
かなりインパクトがあって良いように思うのだが。