尼崎脱線事故の大勢が明らかになってくると同時に、一連の報道の傾向に新約聖書の逸話をまざまざと思い出した。
律法学者らがイエスの前に姦淫の罪で捕まった女を連れてきて、モーセの律法通り石で打ち殺すべきかと尋ねた際、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのないものがまずこの女に石を投げなさい。」と答えた。これを聞いた人々は年寄りからひとりずつ消えていき、最後にはイエスと女だけになる。
まさにR30さま「JR事故の責任は日本国民にあるような気がしてきたぞ」
の一節にある
>ASAの販売員に週刊朝日の武富士五千万円問題で怒鳴る喚くの八つ当たりしても、ASAの販売員は頭下げるのか。日経の支局の記者たちが、鶴田社長が赤坂のくぼ田でママと遊んでることが発覚した時に居酒屋で飲んでなかったかどうか、調べて発表してもらいたいよね。たぶん誰も酒なんか1滴も飲んでなかったに違いないよ。さすがマスコミ。
がこの逸話の通りです。
>『道徳主義はその汝なすべしのゆえに必ずや我々を我なしえずへと追いやるのである。』
スローターダイク
また別に以前書いた批評の射程について
という記事も読んでもらえると嬉しいです。
まずは事故が起きるメカニズム、原因についての研究や関連ありそうな概念を集めておきました。
失敗学研究グループ
ハインリッヒの法則(1:29:300)
フェイルセイフ
ヒューマンエラー防止の考え方
↑に集めた概念からも分かるように、いざコトが起こってから事後の道徳的対応を責めても全く生産的ではないです。もちろん経営責任・株主責任として責任者はしかるべき責めを負うべきでしょう。それは彼らには事故が起きないように、起きたとしても大惨事にならないように対処することが可能だったからです。そして今後の事故が起きないようなシステム、組織作りは地味な議論となりがちだとしてもしっかりとマスコミは報道すべき事柄です。そして一度それを報道すれば事後検証を試みれば、運転手の生い立ちやら、一般社員の休日の過ごし方やらの無意味な報道は必要ありません(むしろ関心事を拡散させるという意味で有害です)。
怒りなどの感情(もちろん遺族含む関係者は当然のことであり、それは和解交渉や裁判の過程で晴らすべきでしょう)は激烈に燃え上がるとしても、やがて冷め忘却されてしまいます。しかし単なる感情の捌け口で消費されてしまっては困るということです。二度と同様な問題が起こらないように事故原因を追及すること、対応策が講じられるまでを追うことが必要なのです。
西和彦氏「アスキーの誤算から学ぶべきこと」
>会社全体の方向性を決める「経営責任」と、各部門が商品開発や生産を担当する「事業責任」では責任の内容が大きく異なるはずだ。それなのに、社長である私が各事業に口を挟む余地が少なくなっていった。例えば、97年に出版した総合情報誌「週刊アスキー」も、私には初版を手に取った瞬間に失敗が見えていたのだが、当時の出版担当役員の抵抗に遭い、ずるずると刊行を続けることになってしまった。
>彼らは私よりも「経営」の能力は高かったのかもしれないが、技術について戦略的な見通しを全く持っていなかった。儲からない事業を切り捨てることだけが経営ではない。技術的な知識に裏付けられた未来のシナリオを書くことこそが経営者に求められる資質ではないだろうか。」
>「アスキーで過ごした最後の数年間で、私は数々の誤算を重ねた。しかし、そこから学んだことは数多い。『自殺』と会社の自殺である『破産』以外に人生に失敗はない。世間で言う失敗とは、私にとって『こうするとうまくいかなくなる』という例を示す『学び』のようなもの。私はこれらの経験で学んだ多くのことを次の世代の人たちに伝えていきたい」
↑出版だけではなくて2chに対抗してたちあげた1chの失敗の経緯を見る限り、未来のシナリオというよりも単に現実が見えていないだけではという気もするけれど、純粋に「経営責任」について考えるべき資料となりえていると思います。ただ経営本に代表されるような類のものについて私は一般性はないと思っている。たまたまうまくいったにすぎないこと、あるいは文字化する際に落とされた情報や拡張されたり縮小された事柄など、個別具体的に全く同じ状況にでも陥らない限り、その気迫や気構え以上に学べるところはないのではないかということです。そしてその種の精神論は同時に最悪の害悪ともなりえます(カリスマと独裁者が紙一重なように)。
最後に↓の一文ですが否定したい気持ち(出版社によって返本率、利益に上下あると)でいっぱいなのですが…まあいいや。
>私に言わせれば、出版業界は既に斜陽産業。書籍の出荷額は業界全体で3兆5000億円だが、売上高は2兆5000億円にとどまっている。つまり、出荷した書籍のうち3分の1近くが流通で廃棄される状況が続いている。なぜ、アスキーの再建を請け負った経営者がそのような業種に絞るような選択をしてしまったのか私には理解できない。
>『誤りは我々を決して去らない。だがより高い要求が努力する精神をたえず真理へ静かに引き上げる。』
ゲーテ「四季」