劇場アニメ公開の季節到来ということで、今回はそういうものを固めてみました(このうち観に行く予定は「時をかける少女」のみかな)。
ゲド戦記監督日誌 第二十二回 押井守監督の最新作を観た
>押井さんは、私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく、
『立喰師列伝』を、ぜひ観てほしいということでした。
私は、押井さんにもうひと花咲かせてほしいと思っています。
だから感想は、一言。
もう一度、同じテーマで、
サービス第一のエンターテインメントに挑戦してほしい、
これだけです。
・・・・。何の実績もない新人監督でありながら何様かと思いましたが、とりあえず公開の評判待ちということで保留していましたが(そうせジブリ作品ならテレビで2年程度待てばやるでしょ)↓
痛いニュース(ノ∀`) 【ジブリ崩壊】ゲド戦記が不評【日本アニメ沈没】
とりあえずカキコミで貼られている宮崎駿監督のコンテを眺めるだけでも一見の価値あり。
finalventの日記さま「ゲド戦記 下馬評 案外よく出来ているのかも。」
原作既読者のツッコミはこちら(finalvent氏ご自身はまだ見ておられないようだけれど)。私も既読組なんですがこの説明を見ただけで見る気を喪失しましたw
アニメスタイルさま「初心者のためのホソダマモル入門・その6 盟友・橋本カツヨ入門」
>カツヨさんが手掛けるのは、俗に黒薔薇編と言われるエピソードの最初の1本目。14話「黒薔薇の少年たち」。さらに20話「若葉繁れる」、黒薔薇編最後を飾る23話「デュエリストの条件」と重要な回を担当。黒薔薇編全体もカツヨ風味に見える……なんていうのはちょっと言い過ぎですかね。ただ、幾原監督も黒薔薇編に関しては「ドラマに寄り過ぎた」という話をしており、その一因が橋本カツヨだった、とは言えるかもしれません。
うんうん(←偉そうw)、黒薔薇編は全体を通して明らかに異質なんですよね。でも黒薔薇編がなければこれほどまでウテナに嵌らなかったと思います。全4編の中で一番見返すのはやっぱり黒薔薇編だし、ドラマに寄り過ぎた=登場人物に寄り添いすぎた、悲哀を描きすぎたということかと思います。
>20話では、「禁断のイマジナリーライン越え」も行われました。イマジナリーラインというのは、映像表現において、人物と人物、人とものなど、2者の間をつなぐ(想像上の)線のこと。この線を意識して、カメラポジションを決めていかないと、視聴者側が位置を把握できなくなり混乱する、と言われています。映像表現では基本中の基本ですが、西園寺が御影という謎の男に出会った瞬間、このイマジナリーライン越えが行われます(ちなみにこの言い回しは、カツヨさんの絵コンテに書いてあったものです)。本来カメラを移動させてしまうと混乱が起きる“ライン”をわざとまたぐ事で、見る側に違和感をもたらし、それまでの世界が急激に反転する、という狙い。本作では、それまでが穏やかな世界だった事もあり、この急激な変化が大きな効果をもたらしています。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー見返してみよっと。
>ちょっと前後しましたが、最後に29話「空より淡き瑠璃色の」に触れておきましょう。カツヨさんを「情念の人」だ、と自分が感じたのは、この話の印象が大きいのです。樹璃に対し、作り手側が肩入れしていることが、映像からひしひしと伝わってくるような気がしたのですね。あえて言うと、橋本カツヨが「キャラクターに自分自身を投影している」とでもいうような。まあ、これはこちらの勝手な妄想かもしれませんが(今までだって妄想を重ねているだろう、とツッコまれるかもしれませんけど)。
29話は究極の神回ですよね(ウットリ)。カツヨ氏の樹璃に囚われることがなければ、おそらくウテナの魅力に気付くこともなくふつーに消費して終了だったと思います。その場合、おそらく今の嗜好は形成されず全く別の価値観を選択していたかと。
と、いうわけで「時をかける少女」は観に行く予定なんですが、どうして上映館がこんなに少ないんだヽ(`Д´)ノウワァァン!!DVDを買って観るのと、劇場でもみるのではやっぱり全然違うし作品ユーザーレビュー
はこんなだし、行かねばなるまい!
発熱地帯さま「ただの世代間の違いのような。」
元記事のARTIFACT@ハテナ系さまでもどちらでもいいんですけれど、ともにそうですか?と頭をひねりたくなる内容でむしろコメントに寄せられている反論のほうが説得的です。観ていた人間、それもそれほど思い入れのない人間からしても作画の乱れは気になるレベルだったし、個性尊重とか世代論って言われても直近で個性でまくりの大傑作「ノエイン」を知っているしなw
760 名前:作者の都合により名無しです 投稿日:2006/07/23(日) 20:25:16 ID:hLFkKL+40
煎じて飲ませたい対象と思われる休載陣のアシスタントとかって何人くらいいるんだろ?この前テレビで放映されてた漫画家(多分週刊誌連載)の特集番組の見た時画面に顔が映ってただけでもアシスタントが約7人くらいいた
週刊誌連載って一人で作画する場合、一日20時間以上仕事するらしい んで何人かアシ雇った場合、一日約10時間との事 (昔、チャンピオンで連載されてた京四郎の最終巻のあとがきで確認)
休載陣の労働時間とかってどうなんだ?
763 名前:作者の都合により名無しです 投稿日:2006/07/23(日) 22:28:08 ID:4vas7T8w0
>>760
それが例えば、ジャンプの看板漫画みたいにメディアミックス三昧だった場合さらに労働量が増すんだろうね。
あと、本人の資質も多分に関係してると思う。
石森章太郎も高橋留美子も凄すぎ。
島本和彦の感想文2001 11/9
11月6日(火)
編集長
●島本和彦氏のラジオ「マンガチックにいこう!」の第4回が『サイボーグ009』でした。で、島本氏の独自理論「加速装置という画期的アイデアは、石ノ森先生自身の驚異的作画スピードから発想されたんじゃないか」には思わず膝を打ったというか、納得しました。前にも書きましたが、私が漫画編集者としての初担当作家が石森章太郎氏。以来、何十人もの漫画家を担当しましたが、おそらく石森氏が作画スピードNo.1です。昼過ぎに喫茶店でネームにとりかかる。夕方に仕事場に入って下描き、ペン入れをしてスタッフに渡し、本を1冊読むか、映画のビデオを何本か観て就寝。朝、原稿のチェックをして、編集者に渡す。22Pの読み切り連載だったんですが、ネームから完成まで24時間かかっていなかった。これが特に忙しくない普段のペースだったのです。担当した作家で他に速い人は、高橋留美子氏、ジョージ秋山氏。『うる星やつら』の頃の高橋氏は、ネームにはじっくり時間をかけましたが、作画自体は速く、16Pを一晩で上げていました。もっとも私の担当した範囲内でのことですから、もっと速い漫画家がいて当然だと思いますが。
●加速装置はサイボーグ化手術で得たものですが、漫画家の作画スピードは訓練、経験によりアップするものの先天的な要素が大きい、才能のひとつのようです。
●速ければいいというものではないのは当然ですが、量産の中からたくさんの名作が生まれ、僕たちを楽しませてくれているのも事実。感謝です。
まさに文字通り命を削って書かれていますな。・゚・(ノД`)・゚・。
600 名前:作者の都合により名無しです 投稿日:2006/07/12(水) 22:00:39 ID:dE6EFlp90
ついでに少年漫画誌?も
※2003年 2004年 2005年
スクウェア・エニックス
30万0000部 28万7650部 ※× 月刊少年ガンガン
7万0000部 2万9100部 ※× 月刊ガンガンWING
7万0000部 2万8350部 ※× 月刊Gファンタジー
角川書店
30万0000部 5万9167部 6万8917部 少年エース
20万0000部 5万5667部 4万6167部 ドラゴンエイジ
集英社
324万0000部 299万4897部 295万3750部 週刊少年ジャンプ
51万0000部 44万6666部 41万7500部 月刊少年ジャンプ
31万0000部 14万9833部 17万8334部 Vジャンプ
講談社
319万0000部 272万1633部 236万5306部 週刊少年マガジン
114万0000部 104万1417部 100万9167部 月刊少年マガジン
11万0000部 10万7083部 11万0750部 マガジンSPECIAL
20万0000部 18万6666部 13万6417部 コミックボンボン
小学館
131万1000部 116万0913部 106万8265部 週刊少年サンデー
6万5000部 4万1000部 3万9333部 少年サンデー超
122万2000部 119万8333部 108万5000部 コロコロコミック
26万3000部 24万0000部 22万3333部 別冊コロコロスペシャル
※2003年度は公称部数
(出版社が独自に出した数字のため実際の発行部数と異なることが多い)
※スクエニ3誌は2005年度のリストから消されている
拾ったものですが見事なまでの右肩下がりで雑誌から単行本へという流れを前に記したものを裏付けています。しかし、少年エースの激減ぶりが凄い。メディアミックスが減ったからか(エヴァ、ケロロに頼りすぎか)?
以下 単行本感想
「GUNSLINGER GIRL」7巻 相田裕
「大きな銃と小さな幸せ」ガンスリンガーガール
でアニメ版は絶賛しましたが、原作の行き着かんとするところは、このままいくと更に遥か彼方、高みにあることが見えてきてちょっと震えが走りました。この作品のテーマは穢れなき少女たち(それは事実問題としてどうかということではなく、意識の問題として)と、罪を自覚する大人たちの触れ合い(生命のやりとり含めね)を通して世界の不条理、残酷さを徹底的に容赦なく描きつつも、尚、生を礼賛、肯定するという恐ろしい作品だと思っています。
完結したらきちんと何かを描きたい作品(あー積みあがっていく)なので、あまり現時点であれこれ容喙するつもりはないのですが、それでも実は前巻ここにきての新キャラ(ペトルーシュカ、アレッサンドロ)投入は単なる尺伸ばしではないかと疑りもしただけにいざ今巻でその両者の動かし方をみて、もうココロが揺さぶられること、揺さぶられること。彼(女)らは少女と庇護者ではなく女と男の関係を築かんとする起爆剤であると同時に、第三者としてその他の関係の異常性、不自然さを際立たせ、さらに伏線をほぐすと同時に物語り(テーマ)自体をも総括しようとしている。具体的にはそれがクラエスであり、トリエラ(直接描かれずともヘンリエッタ、リコも射程内)であり、そして今巻の主役であったロベルタの描き方に見て取れている!!!
【幸せを届けてくれた作品群】
「巌窟王」2巻 前田真宏・有原由良
作品が纏っている雰囲気が絵コンテ調であるのでアニメと極めて似ているのですが、違う!それは具体的に展開が異なっているというレベルの話ではなくて、最先端の逝ってしまうのではないかという危うげな魅力(アニメ版ね)とは逆に極めて形式的な様式美に近いものを感じさせるということなのですが、現時点ではあくまで感覚的なもの(まあ、感想なんてそもそも感覚的なものにすぎないけれど)でそれがなんであるのかもう少し熟成するのを待ちます。
【購入に値した作品群】
「まほらば」12巻(最終巻)小島あきら
まさにお疲れさまでしたとしかいいようがないかな。最後の最後まで優しさに包まれたとっても良いお話でした。私のような心汚れた人間にはお約束の後日談が冗長なもの、むしろ興ざめくらいにしか感じられなかったけれど、それでも読み終わった後にそれこそ一巻からを思い返して(読み返す前にね)ちょっと余韻に浸ってしまいました。
【暇潰しにはなった作品群】
「HELLSING」8巻 平野耕太
・・・・・・・微妙。別に殺戮シーンがどうこうなんて倫理的なことなんかこれっぽっちもこだわっちゃいないけれども、無意味な殺戮シーンやインフレ戦闘だけが延々と続く展開は退屈ですぜ、旦那!って感じです。こういう切れ方なら別に平野先生でならず凡人程度(それこそふつーの少年漫画)でも可能な表現域ではないですか?
「ドージンワーク」2巻 ヒロユキ
1巻冒頭でアニメ化までと記していたけれど、そんなこと毛頭思っちゃいないだろとつっこみいれたくなる内容です。得意な同じ方向からの顔ばかり描けば作品のクオリティが上がって見えるとか、ひとつ得意な構図をものにすれば結果的に他の構図も巧くなるとか結構地味にためになるお話も交ぜてあって馬鹿にならない。
【なぜ手に取ったのか理解できない作品群】
「未来日記」1巻 えすのサカエ
デスノのパクリとは言わないけれど、影響下にあるんだろうなーという作品。なんか設定(特にその日記に書かれたことの確定を巡る部分)のいい加減さが、早くも奇跡とか平気で使ってしまう部分も含めてぐだぐだになる予感が否めません。
ただ、ストーカー日記の部分は微妙に笑わしてもらいました。
「ケメコデラックス」1巻 いわさきまさかず
それにしてもケメコの造型どこかで見覚えあるんだけれど、「わたしんち」のお母さんではなくて、「十兵衛ちゃん」でもなくて…う~ん、思い出せない。そんなに古い作品ではないと思うんだけれど。
「花と泳ぐ」1巻 口八丁ぐりぐら
ストーリー漫画なのか、単なる萌え四コマなのか中途半端で泣けもしなければ、笑えもしないかな。せめて、もう少し絵が魅力的ならばいいのに…。
【惰性と言う慣性の法則が働いている作品群】
「しおんの王」4巻 安藤慈朗・かとりまさる
将棋好きなのでいいかげん、将棋(譜面部分の作りこみね)の魅力を引き出してくれないと単に勝った負けたで物語を展開させているだけのように感じられてきたこと。あわせて、今回1巻以来放置に近かったミステリー、サイコさん要素を取り込んだのですけれど、ろくすっぽ伏線貼ってない所為か、唐突というか、単にあと2巻程度で完結させるために冷やし中華謎解き始めましたというような感じが否めない。
「妖精標本」3巻(最終巻)由貴香織里
「0の奏香師」 由貴香織里
信者補正が振り切れるほどにかかっているはずなのに…それでもつまんないorz
初期の「カインシリーズ」や「天使禁猟区」には思い入れがありすぎてどうやら書けないまま、お蔵入りしてしまいそうなので冒頭部分だけ晒しておきます。この方ともうお一方の作品に関しては色々と想いが溢れすぎて書けそうもないです。
>『美よ、そなたは死者を嘲り、土足でそれを踏み越える。そなたを飾る宝石では恐怖もなかなか魅力があり、殺人さえが最愛のそなたの装身具に混じっていて、美よそなたの傲慢な腹上で色気たっぷりに舞い狂う。』
ボードレール「美の賛歌」
今までさんざん、狂信という名の宗教に限らず、空気含めて根拠なき熱狂を相対化でもって揶揄してきたわけです。でも絶対的相対化という立場は言語的にも矛盾があって、論理性、科学性、現実主義でもってくさすにしても深い根の部分では何かの信仰を抱いています。まあ、それがイデアとまで高尚なものといわないにしても審美主義、耽美主義ということです。まあ、結局のところ個人的な好悪の感情で価値観なんて定まるものですし、そのことに自覚的であれば最終的に突き詰めれば同じ結論に至るはずという確信は抱いています(既に矛盾ある結論)。
で、何を美と感じるか(シンメトリーとかではなくて)は曖昧模糊とした印象、感覚の中に漂っていて、その混沌の海から掬いとるものが趣味ということ。で聖典の一つがこれからとりあげる「天使禁猟区」となっています。
冷静にこの作品を評価すると、物語、絵ともにごちゃごちゃしすぎて肝心な部分の描写が過剰だったり、不足していたり完璧とは程遠い地点に位置する作品ですが、この作品の魅力はそんな凡百の定規で推し量れる類のものではない。ようはその恐ろしいまでに突き抜けた情、否!念を感じ取れるかどうかで、感じ取れかつその念が「美のイデア」とまで共感できる者にとってはこれ異常以上ないほどのパトスが迸ります。
といったところまでは書けたのですが、以下内容に踏み込もうとすると文の体裁すら整えられません!!!
- ウテ通さん、こんばんわ。
アニメーターの個性と低クオリティは明らかに区別しなければいけないと思うのですけれど、確かに境界的なものは一般人(作画オタを除くとしたほうが適切かな)には識別不能なのかもしれないですね。
一口に個性といっても静止画に特化した明らかに分かりやすい人から、なにかとこの手の話題で名前があがるうつのみや氏のように動かすことを前提にその動のキレで魅せる人から色々といると思います(金子ひらく氏だってねw)。多分、個性とクオリティの識別は結局のところ評価が二分するかどうかによるのではないかと。その点、なのははファンの間(DVDを買うような)では修正を明らかに歓迎していますからね。だからこそ、売り上げは1期目、2期目と極めて堅調ですからね。
>彼の馬ズラ暁生とか、個人的には好きですが、実況でもブーイング
確かに馬、馬いっている人もおられましたね、でもどちらかというと非難というより個性的なものとしてネタとして喜んでいるように私は感じました。ウテナでも七実ギャグ回のように明らかに作画資源を節約しているのが明らかな回もありましたけれど、それでも非難というより仕方ないよね(苦笑)といった感がしておりました。
たぶんですけれど、作画(萌えキャラ)しか見所がない作品でなければファンにとってある程度は許容範囲なのではないかと。たとえば売れた舞Himeだって一期目はそんなに作画芳しくないところも散見されましたし、今期ならば個人的に嵌っているシムーン(小林さんによる背景「だけ」一見の価値ありとか書いたことは撤回させてくださいw)とかも作画はそこまでよろしくないです。
というわけで、ウテナにおけるハセシンの絵はコレクトのなのです!そして奥さまは魔法少女におけるハセシンの絵はアウトwと…うまく言えているか微妙ですがそんな気がしています。 - commented by 遊鬱◆jnhN514s
- posted at 2006/07/31 22:02
- アニメーターの個性の問題は難しいところですね。
ウテナで言うと相澤さんの回の評価なんかが今回の問題の対称になるでしょう。
彼の馬ズラ暁生とか、個人的には好きですが、実況でもブーイングがありましたね。
もっともウテナの場合はハセシンの絵もTVシリーズでは浮いた絵になっているので、誰が修正すればいいのか分かりませんがw - commented by ウテ通
- posted at 2006/07/31 03:31