看護師は病院の看板 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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患者の立場になって、つくづく看護師が果たす役目が大きいと感じた。

大袈裟でなく、看護師は病院の看板である。看護の質でその病院の良し悪しが決まるという事を実感した。

一人の医師が切り盛りしているクリニックは別ですが、こういう何人も医師が関わっている病院に「あそこはヤブ」という評価はあり得ない。

個々の技量に大差はあるでしょうけれど、すべての医師が低いスキルしか持ち合わせないなんてあり得ないからです。

しかし、この病院の評価って、以前から「あそこはね・・・」と眉間にしわを寄せてしまうような巷の噂話が聞こえるし、

ネットで口コミを検索するとあまり良い評価がない。

 

口コミを読むと、「医療ミスをされた」とか「誤診をされた」というのではなくて、接遇面で嫌な経験をしたものが多い。

一番患者と関りを持つのが看護師である。どの口コミを読んでも、看護師の接遇や態度が良ければ酷評を得なくて済んだのではなかったのではないだろうか。

確かに横柄な態度の医者とか、ムカつく態度の医師はいますが、きちっと看護師が対応していれば患者は何となく安心するものです。

医師の説明が言葉足らずでも、看護師のフォローがきちっとしていれば患者は安心するものです。

 

前回にも書きましたが、ここの病院の看護師の質は非常に悪い人が多い。まあ、よくも看護劣等生が集まったものである。

傷病は、はっきりいって患者自身が治すものである。医療というのはその補助的役割を果たすだけである。

患者にとって必要なものは、とにかく「安心」である。

安心して生活する事ができる。安心して治療を受ける事ができる。なのである。

私は認知症看護に大いなる興味を抱いていて、看護師としてのライフワークとして勉強を重ねている。

認知症の患者さんにとって一番大切なのは「安心」なのであるが、いやいや、「安心」は認知症の患者さんだけでなく、すべての患者さんにとって必要のものであると思う。

ただ、認知症でない人たちは「不安」であっても、理性でカバーしてしまう。「あなたの態度は不安なのよ」なんて口にしない。反対にこんな事を言ったら「あの人クレーマー」とラベルを貼られてしまうかも知れない。

 

そて、この病院の看護師がなぜ質が悪いかというと、

患者と視線を合わせない。患者の話を聞こうとしない。患者の言葉を引き出そうとしない。看護師として必要な最低スキルが出来ていない人がほとんどである。

検温に来ても、自分の言いたい事だけ伝えていく。一瞬目は合うが、その視線はすぐに違うところに行ってしまう。

何か訴えたくても、シャットアウトオーラが放たれ何も言えなくなってしまう。

看護師には今目の前にあるものの解決だけでなく、自分の言動によってこの患者への影響を考える必要がある。

例えば、「疼痛コントロール」に登場した術前の日に担当した看護師。医師から「喘息があるから痛み止めが使えないなぁ」という言葉をまるまる患者に伝えれば患者は不安になるだろう。不安は患者に今後どのような影響を与えるか考えなければならない。術前の看護師の役割は、安心して手術を受ける事ができるように患者の心身ともに整える必要がある。

また、入院時に担当した看護師。救急搬送された患者はなるべく帰宅させるのが病院の方針かも知れないけれど、あの看護師の態度は「夜間の緊急入院は色々と面倒だから帰って欲しい」という看護師の個人の気分にしか感じ取れなかった。

シーネで足が屈曲できない状態に固定され、そのうえ超激痛を訴えている患者。例え立ててもどうやって帰れと言うのでしょう。タクシー・・・?こんなピンと伸びた足で乗り込むのは無理でしょう。家に帰ってからの生活も考えなければいけない。そんな看護師として当然アセスメントするべきことを怠って、ただ「帰れ、帰れ」は看護師としてどうかと思われるし、人間として思いやりのかけらも感じない。まあ、結局立てなくて入院となったけれど。

 

個々の看護師の性質の問題ではない。

病院組織として、看護師の教育がきちっとできていないという事である。

看護部の管理者や指導的立場の人たちが、看護師は病院の看板であるという認識がないから、

質の悪い看護を向上させようという意識がないのだろうな。

医療的処置が上手にできても仕方がない。そんなのは看護師でなく処置師である。

色々考えながら看護するって本当に楽しいのに、この人たちはその「楽しみ」を知らないんだな。

ある意味、気の毒な人々である。

 

私も、我が病院の教育担当を行っている。人のふりみてわが身をなおせ。

看護師は病院の看板という事を忘れずに、自分自身も努力しなければならないけれど、後輩たちにも看護に対して向上心を持て努められる人を育てていきたいと思う。