ボランティア演奏してきました。 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

 

東大和市の都立東大和療育センターで慰問演奏をしてきました。

立川方面に行くという事は、子供の頃から遠足とかそういったイベントばかり。

という事で、何気に行きの電車ではルンルン。プラス初モノレール。

 

さて、本日のプログラム。

『供奴』の冒頭。楽器紹介。童謡『とおりゃんせ』。『勧進帳』最初から寄せの合方。『秋の色種』の虫の合方。『勧進帳』の滝流しから段切れ。

虫の合方以外は小鼓大活躍。

小鼓一人でできなければならないのですが、どこか持ちつ持たれつで他の楽器を頼りにしているところがあるので、非常に緊張いたしました。

また、童謡に関しては、手附けがあるわけではないので、我がインスピレーション。

とても怖かったです。

でも、このあとにお稽古があって、心配している師匠に報告。「適当に・・・ができたのならよかった」と褒められました。

決まり事はできて当たり前。こういう色事が出来てこそに意味があるのかもです。

作調的にはベタ付きで良くなかった。もうちょい遊べるといいのになぁ。

そこまでの勇気がありません。

 

しかし、とってもピュアな観客に囲まれて幸せでした。

私たちの発する音を新鮮に受け止め、

そしてピュアな心で処理して反応してくれる。

この反応が大好き。「そうだよね、そうだよね。ここかっこいいよね」

でも、カッコよくても前後の関係で一般の人は理性のストッパーで拍手しません。

私も、演奏会に行って、

その理性のブレーキに感動の表現を抑える事があります。

こんなところでパチパチしちゃいけない。

でも、彼らは感じたところで拍手する。素敵です。

 

が、普段、プロとして大活躍されている方々の演奏。

足を引っ張っていないか不安・・・不安。

こういう日の為にも、日々頑張らねば。

 

こういう活動が私にとっては一番の目標。

普段、長唄の演奏など耳にできない方々に、

日本の古典でこんな面白い音楽もあるのですよ。と紹介したいのが私の芸におけるアイデンティティです。

 

本日伺った施設を利用している方々は恒久的に今の現状が続く方々です。

私が勤めている病院に入院している方々も、治癒という事はなく、大概は退院=旅立ちとなります。

確かに、生まれつきで恒久的に施普設のお世話という方々は気の毒という世間一般用語を使わさせていただく。

が、

普通に生きて、今は待つ身の上という方々。

この方々はピュアではないのですが、とっても気の毒。

大概、急性期から、病状が落ち着いた事でうちのような施設にやってくる。

下手をすると、外の空気を吸う最後の機会は、この転院の機会のみ。

季節感なく、今が朝なのか夜なのか分からなくなる。

分からないまま最期を迎える方が多い。・・・穏やか=なんの刺激もない・・・でいいのかな。

東大和の利用者の方々とは違う意味で気の毒だなぁ。

 

スタッフの方。

我々と同業者の方々だが、笑顔が素敵だった。それにしっかりしていたなぁ。

仕事の多忙さを理由に、月々のイベントを失くした介護士。うちは最低だ。看護はある程度充実しているけれど、介護士なのに看護助手化しているのは、看護師としてはありがたいけれど、施設としてどうかなと思う。

療養型の癖して、介護力をぜんぜん期待しないうちの病院の方針が問題と思いますが。仕方がないのかな。

最低の介護力の、うちの介護士たちに、このイベントを見てもらいたかったな。

「時間を忘れる」「季節を忘れる」は介護士の責任と思います。

 

一つのベットが空くと200人の応募があるとか。

受け入れがなく、うちにいた仕方がなく受け入れた二名の障害者がいますが、

一人は、親御さん等の希望もあり餓死でした。・・・病院で餓死の衝撃でした。

もう一人は、多動過ぎで看護の手が行けないので゜。。。。

うちみたいな専門外で、物理的抑制をしない事を看板にしていると、こういう手に余る方は薬物的抑制を試みる。

効果は中途半端。看護サイドは入院生活の安楽安全の管理ができなかった。

そして、薬物を使用することにより、その方は廃人と化した。

行先を困っている親御さんも、さすがにクレーム。

が、うちの病院てせはそう対応するしかない事を説明。

○○君を精神病院に入れる事は絶対に避けたかったようですが。。。

そういったところに転院していきました。

が、適材適所。その状態、ニーズにあっているところを療養環境にすることが大事ですよね。

 

今回のメンバーは長唄の今藤シスターズである。

今藤らしい、説得力のある演奏。

抑揚や強弱がしっかりしている。

そういえば、藤舎流もそうだ。

やっぱり親戚だからなのでしょうか。

 

 

また、彼らの前で小鼓を打ちたいなぁ。

とても良い経験でした。充実の一日でした。