二十五日は勤務終了後、直行で三味線のお稽古でした。
週末から週初めが全部出勤。一週間で一番忙しい週末と週初めが全部出勤なんてありえないシフト。殺人的です。ヘトヘト毎日で・・・ブログ更新が今日になってしまいました。
さて、お稽古は『官女』がまだまだ続いています。
この曲はお囃子の方が先行して親しんでいる曲。大小鼓のチリカラ拍子と言われるところや、太鼓地と言われるところは大概、三味線のメロディーに追従したような手がついているようなものです。つまりその手を覚えるという事は三味線のメロディーを覚えているようなものなんですね。
・・・この曲、どんな曲だっけ??!と思っても、三味線のメロディーが流れると手が自然と出て来る。きちっとその曲が身に染みているとそのように身体が反応する。これが理想のようです。
よって、去年の暮れから始まったお囃子の方の「ババ抜き稽古」。この理想を目指したものであります。
そして、ついこの間引いたカードが『八島落官女』。ラッキーな事に一つの曲が終わってこのカードを引いたので途中で終了。後半の太鼓地が持越しになったのです。そして、散々曲を聴いていたのですね。お手本は長唄の美学であります。
三味線は流派によって若干手の運びが違ったりするものです。同じ曲なのに細かなところが流派流派に違って、これが日本の音楽の不思議物語です。作曲者は一人なのにね♪まあ、何故そうなのか理由はあるんですが・・・。長くなるので省略。
美学は故杵屋五三郎先生が演奏されています。つまり、あれは杵五派の手の運びなのでうちと一緒とは限らないのです。
しかし、美学聴きすぎ症候群が起きてしまいました。
お稽古は譜面を見て、譜面の数字を追っかけて三味線を弾いているのですが・・・
何故か三下りのとある場所。「違う流派の手を弾いちゃダメだよ」と注意された!
そうそう、三下りは太鼓地のところ。譜面を追っかけているつもりが、頭の中に流れるメロディを弾いていたのですね。というか、三味線を弾きながら太鼓を打っていたのだと思います。
・・・これ、お囃子をされている方はそうだと思うのですが、ついつい馴染の部分に来るとお囃子を頭の中で打っちゃうのよね。つまりお囃子病の一つの症状です。
で、ついでに美学聴きすぎ症候群。いつの間にか杵屋五三郎先生の手が身に染みていてそう弾いちゃったという訳です。
しかし、けっこういい加減に譜面を見ているんだなぁ。
実際に譜面にしがみついているはずなのに、、、、不思議な事である。
海馬という脳の部分に送られた記憶は海馬台というところを介して大脳新皮質というところに蓄積して長期記憶となり「忘れない」状態になっていくのだそうです。
お囃子の方は稽古場に譜面を出してはいけない方針で学んでいるので、新曲に入る前はきっちりと予習をしてお稽古がスムーズに進むように準備をした。いやいや、基本頭が悪いので「あれ?!」となってパニックになるのが恥ずかしいから下準備しているだけだったのだが・・・。
結局、あの記憶はきちっと大脳新皮質というメモリーに記録する前に破棄されちゃっているんだろうな。
お囃子のお稽古は十年目に入って、ステップアップを目指してお稽古スタイルが変わった。
きちっと大脳新皮質というメモリーに記録して行こう。それがお囃子をやっている今の私のやる事である・・・と思っている。
だから、ついつい所構わずお囃子病が出ちゃうのよね。
すみません・・・。
さて、来月から月四回の三味線のお稽古。二回を三味線。二回は唄の先生について唄をお稽古するという感じになった。
うちの流派はどちらもできる事が望まれる。
名取試験は唄も三味線もあるので・・・。しっかり唄も勉強しなくちゃ。