四季の花里 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

三世杵屋勘五郎の作曲。安政六年五月に真田信濃守の新橋上屋敷にて初めて演奏された。
この三世杵屋勘五郎という人は、十世杵屋六左衛門の子ども。初代の杵屋栄蔵、三世杵屋三郎助という名前を経て文久元年つまり1861年に十一世杵屋六左衛門を継承する。しかし、それから七年後に弟に六左衛門の名跡を譲り、三世杵屋勘五郎を名乗る。
住まいが根岸にあり、「根岸の勘五郎」と呼ばれていた。

さて、
この『四季の花里』は、この勘五郎の住まい近辺の四季を唄った曲。作詞も彼が手がけているのだそうです。初演が大名家の上屋敷。観賞用の長唄なんだろうな。
『四季の花里』という題名を初めて見たときは、長閑な田園風景をイメージしましたが、
ぜんぜん違いますね。江戸下町の粋な町が舞台なのですね。
まあ、今の都会とは違って、自然豊かな江戸時代。
根岸は上野の近くの町。鶯谷とか入谷とか日暮里とか。
そうそう、この曲の冒頭にも「鶯」が出てくるのですが、あの辺は鶯の名所らしい。「初音の里」とか言われていたらしいですよ。・・・今でも鶯谷なんていう駅もありますしね^^
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ここが鶯の名所になったのは、人の手によって作られたものらしい。
この辺と言えば寛永寺が有名です。徳川家縁のお寺ですよね。公辨法親王(こうべんほっしんのう)が、寛永寺の住職だったころ、彼は後西天皇の第六皇子。雅な方だから気になられたのでしょう。上野鶯の鳴き始めが遅いし、声が綺麗じゃないということを悲しんだのだそうです。で、尾形乾山という人に命じて京から早鳴きで声の美しい鶯三千五百匹取り寄せて根岸の里に放したのだそうです。
なるほど、このお方が鶯の声が汚いことを気にしなければ、今の鶯谷とか無かったかもですね。ついでに、この曲の歌詞も違ったかもです。

長唄というのは、本当に雑学の宝庫ですね。
この公辨法親王というのは赤穂事件に関連する登場人物。赤穂浪士たちの処罰に悩んでいる将軍綱吉に「切腹を命じなさい」と助言した人なのだそうです。
綱吉は、江戸城松の廊下での刃傷事件で浅野氏だけを切腹させた事をやや悔いていたところもあったのだそうです。そうそう、喧嘩両成敗ですからね。それに、見事君主の仇を打った赤穂浪士は江戸の英雄ともてはやされている。そんな人気ものを切腹させたら・・・幕府の人気が・・・
公辨法親王が綱吉に「切腹させなさい」と助言したのは、ここで庶民に媚を売るように、赤穂浪士を許せば、綱吉自身が浅野に下した捌きが片手落ちだったことを認めたようなもので、世間に示しがつかないからと言われているそうです。
「本懐を遂げた浪士を生き永らえさせて世俗の塵に汚すよりも、切腹させることによって尽忠の志を後世に残すべきである」と赤穂浪士を切腹させた理由を問うたらそう答えたそうです。

また、一つ・二つと勉強になりました。