今日はお彼岸のお中日。という事でお墓参りに出かけました。
お寺では、彼岸の法要と説法をやっていました。
約一時間。お経を聞いてご住職の説法を聞きました。
お坊さんって本当にお話が上手ですよね。
退屈なお経だし、お坊さんなんかのお話なんて…
と正直罰当たりな事を思いましたけれど、なんのなんのお話とっても面白かったです。
「彼」とは、自分以外のものを指すそうです。自分は「私」。
自分を岸に例えて「私岸」、その対象が「彼岸」という訳だそうです。「彼岸」は「私」を受け入れてくれる場所なのだそうです。ですから、本当は365日毎日「彼岸」というものは存在しているそうです。それで、特に春分の日・秋分の日を彼岸というイベントに定めたのは、昼と夜の長さが同じだからなのだそうです。
昼は「陽」すなわち「良かった事」「幸せな事」・夜は「陰」で「辛い事」「苦しい事」この相反する二つが同じ長さという事でこの日を特に「お彼岸」と定めたらしいです。
人には、陽と陰必ず存在していますよね。
さて、私たちには「自分が可愛い」という気持ち、そして「自分が一番」というこの二つの気持ちが存在しているそうです。
そうですよね。「安全でありたい」「安楽でありたい」誰もそう思っているはずです。
「私は、自分の事よりも子供が大切」という思いの人っているじゃないですか。でも、実はそういった人でも「自分が可愛い」という気持ちは持っているのだそうです。
この世の中で一番見難いものって、自分ですよね。あまりにも身近で気が付かない。そういうものです。
また、「自分が一番でありたい」これもありますよね。私は勉強できないし、容姿も悪いし…。と思っていても自分と同レベルの人と出合った時「この人よりは…」なんて思っちゃう事誰にもありますよね。
これは人間が持って生まれたもので、そう思う自分は嫌っと思っても仕方が無い事なんですって。
人間には、様々な欲がありますよね。
今よりもいい生活をしたい。誰もが持つ欲求だと思います。
いきなり大きな欲じゃなくて、「ちょっとでいいから」と達成可能な範囲の欲を持ちますよね。「いまより、ちょっと大きな家に住みたい」…。
でもね、人間のこの「ちょっと」というのは制限ないですよね。
今の「ちょっと」が叶えば、次の「ちょっと」を願う。
けれど、人間はこの「ちょっと」を達成すると同時に不安とかそういったものが出現する。上に行けば行くほどその不安・恐怖が強くなるんですよね。
それは「ちょっと」を願うと同時に、現状維持を願うから。
上に行けば行くほど、守るべきものが大変だだそうです。
願いが達成できる幸せと同時に、実現したものを失うのではないかという不安と恐怖。すなわちこれが、陽と陰なんですよね。
陰陽を持つ私たちをあるがままで受け入れてくれるのが「彼岸」なんだそうです。
非常に分かりやすいお話だったけれど、こうして記憶をたどって表現するのは難しいですね。
本当にお坊さんというのはお話が上手。