元旦は毎年恒例の教育テレビのお能から始まりました。
私は子どもの頃からこの元旦はお能をテレビで堪能するという習慣になっています。
変な子どもだったんですよね。別に親が観ていたのを観ていたわけでなく、私が好きで観ていたのです。
と言っても、未だに謡いの歌詞を聴いてもさっぱり意味が分かりません。
今年は金春流の「翁」でした。
「翁」は舞踊の「三番叟もの」の基となっている謡曲です。
手的には殆ど私のやっているお囃子分野と同じような手を打っているのですが、能のお囃子というのは土臭いというかパワーがあるというか全然違います。
昔、亡くなった大皮の師匠に三番叟ものを教えていただいた時に「馬鹿野郎ーッ!三番叟というのは神が大地を耕すように表現するものだ!そんなチャラチャラ大皮を打ちやがってそんなんで大地を耕せると思っているのか!!」と怒鳴られた事があります。
師匠の求めていたものは、もっと野蛮に大皮を打つパワーで大地を耕せという事だったのでしょうが、なかなか野蛮に変身するというのは難しいものでした。
能のお囃子というのは、長唄系のお囃子とはパワーが全然違います。まあ、長唄系のお囃子というのは三味線や唄に協調するお囃子ですから、お能のようにパワフルそのものをやってしまうとちょっと場違いという感じですが、気持ち的な面ではお能のようなパワフルで野蛮な表現が三番叟には求められるのだと私は解釈しています。
今日の「翁」を観ていても、何か神聖で心に熱いものを感じるものがありました。
今日はテレビでの鑑賞ですが、いつか生で「翁」を鑑賞したいです。それも薪能がいいなぁ。
さて、午後は「新春桧舞台」で日本舞踊や小唄・長唄・筝曲の演奏を鑑賞しました。
歌舞伎舞踊は「京人形」
歌舞伎の長唄というのはなんか間延びしたような、暢気な雰囲気があって素の演奏や日本舞踊の伴奏とはやや違った味わいがあります。
この演目の長唄は唄が杵屋巳紗鳳氏、三味線が杵屋巳太郎氏でした。巳太郎氏の三味線って演劇的というか表現の深みがあって大好きです。巳紗鳳氏の声も甘くてなんか乙女心をくすぐる素敵な声なんですよね。
立方は尾上菊五郎・菊之助親子他、菊之助氏の女形姿は本当に可愛らしくて素敵です。
玉三郎氏とは違った初々しい美しさを感じます。
さてさて、長唄の素の演奏は「島の千歳」でした。
唄は宮田哲男氏、三味線は杵屋五三郎氏とご子息の杵屋五三助氏、そして小鼓は堅田喜三久師でした。
今まで、色々な方の「島の千歳」を聴いていますが、私は喜三久師の演奏が一番好きです。お兄様の望月朴清師の演奏も素敵なんですけれど、派手好きの私にはちょっと渋く感じてしまいます。掛け声が喜三久師の方が派手なんですよね。
また、小鼓の音も朴清師に比べて派手なんですよね。
…と私の耳には聴こえます。
「島の千歳」は小鼓一調の曲で、私のように小鼓を学んでいる者にとっては憧れの曲です。
望月流の大切な曲なんですけれど、今では流派を超えて色々な方が演奏されますよね。
さて、三味線の五三郎氏の三味線は先ほどの巳太郎氏の三味線とは対照的。控えめで坦々としているのですが一音一音がハートがこもっていて魅了される音を奏でます。
巳太郎氏のように表現力豊かな三味線も素敵ですけれど、また五三郎氏のような味わいを堪能できる演奏も私は大好きです。
さてさて、同時刻にラジオで長唄の「二人猩々」をやっていました。こちらは、唄が杵屋喜三郎氏…二人のご子息との共演でした。三味線は杵屋寒玉氏。お囃子は藤舎流の面々で小鼓は家元の藤舎呂船師でした。そして笛は大好きな中川善雄師。太鼓は私のお囃子の師匠でした。
こちらも能の「猩々」が基となっている曲で厳かで私好みの曲です。いつかやってみたいお囃子ベストテンの一つかも知れません。
今日、色々な邦楽を堪能できる一日でした。
明日もあるんですよね。ルンルン♪
でも、以前はもっとあったような。。。年々邦楽の時間が減っているように思います。
そうそう、NHKさん。同じ時間帯にラジオとテレビで邦楽をやらないで下さい。お願いしますよ。