
今日は下浚い前のつぼ合わせで、会主の先生宅でお稽古がありました。
初めての生の「鏡獅子」…緊張しました。
落ち着け落ち着けと自分に言いつけているんですけれど、全然、心ここに在らずでした。
今日はしょっぱなから落としてしまって、以来舞い上がってしまいました。
まずい…。失敗を引きずるとろくな事がないのです。
なんとか段切れまで辿り着きましたけれど、危なかったな~ぁ(汗)
生の伴奏でお囃子をやるって、本当に気分がいいです。
機械を通した音とは、全然違うのです。
音楽は生きているという感じがします。
もっともっと気分的に余裕があって、上手なら、もっともっと気分がいいのでしょうね。
今日は、ぜんぜん心に余裕がなかったので、お三味線や唄に着いて行くのが精一杯。
いつまでたっても心に余裕というのができないのです。
家で毎日練習をしていて、それを聴いている母が
「うん~…一生懸命は分かるけれど、何回も聴いていると疲れる。段切れが済むと、マラソンランナーがヘロヘロになってゴールして、それを抱きかかえるコーチの気分になる」と一言。
そうなんですよね。ぜんぜん余裕がないから、ぜんぶ頑張ってしまうのです。そして、段切れ(曲の最後)を迎える時は酸欠状態・パワー切れ状態で、ヘロヘロ。
例え、実際に自分がそのような状態でも、聴いている人にそれを感じさせちゃいけないですよね。
打つ事自体にも、何個か課題があるんですけれど、このパワー配分の課題が一番の課題です。
聴いている人を疲れさせちゃいけないよね。
う~ん難しい。