アトピー性皮膚炎。
近年増えつつあり、誰でも1度は耳にしたことがあるアレルギー疾患です。
小児のアトピーは比較的治癒しやすいといわれていますが、大人になってから発症するアトピーは治りにくい上、症状もひどくなりやすいと言われています。
我が家の三人姉妹の長女は私。
次女の妹は16歳の冬、アトピー性皮膚炎を発症しました。
手指が赤くガサガサになりはじめたのです。
ヒビきれがひどくなり、痛みもあったのだと思います。
次女は皮膚科に行きました。ステロイドの入った軟膏を処方されて帰ってきたのを覚えています。嫌な予感がしました。
1本つけ終わっても、次女の手は治りません。
それどころか発赤と発疹は序々に手全体に広がり、また皮膚科へ、そしてまた病院を変えて・・・。いわゆるドクターショッピング状態です。
病院を変えると、前のより強いステロイドの軟膏を持って帰ってきました。
軟膏は効きません。
次女の手は真っ赤になり、ひび切れ、痒み、そして痛みが生じ、医師の処方した軟膏は彼女の辛い症状をひとつも緩和させることはありませんでした。
その上、肘や膝の関節の屈曲した部分に同様の症状が表れ始め、頸部、髪の毛の触れる額の生え際、耳・・・次女の身体にどんどん赤い湿疹は広がっていきました。10代の女の子が人から見える顔や手にそんな湿疹ができている残酷な現実。しかもその湿疹は強烈な痒みとなって、常に次女を襲いました。
湿疹はすぐに全身へ。
顔は、まぶた、鼻の下、頬、柔らかい部分からついには全体へ広がりました。
治らないからと病院を変えても、また強いステロイド軟膏やクリームを処方されます。
当時まだ准看護婦の資格をとっただけで、病院で働いてはいなかった私の簡単な知識だけでも事の重要性・薬の強さ・恐ろしさがわかります。
夜になり、眠りにつく頃。体温が上がり始めると、彼女の痒みは強くなります。
次女の隣の自室で眠っていた私はすすり泣きで目が醒め、うっすら開いた戸から部屋を覗くと、体中をかきむしってベッドで転げまわっている次女がいました。
毎晩続くそのすすり泣きで、私は妹の身体を叩きに部屋に行くこともしばしばでした。掻いてしまっては湿疹が切れて出血する、痒みの上に痛みまで生じさせてしまう。
掻かずにすむように、私は妹の身体を叩きました。手を丸めてパンパンと、痒みが治まるように掻くかわりに叩きました。「かいちゃダメだよ、かいちゃダメ」
いつしか、次女は母の部屋で眠るようになりました。
そのほうがトイレが近いからです。
ヒビ切れた皮膚や関節は、トイレに行くのも一苦労。動くと、ヒビ切れはひどくなりまた出血します。痛みで彼女はほとんど寝たきり状態になりました。
ある日、ステロイドの離脱症状が始まりました。
寝返りも打てないほど、些細な動きで彼女の全身のヒビ切れた皮膚から黄色い液が浸みでます。
日に何度も彼女は裏返したTシャツを着替えました。Tシャツを裏返すのは、縫い目が素肌に触れるとそこから炎症が広がるためです。彼女の身に着けるものはすべて綿100%。化学繊維は弱まった皮膚を荒らします。
母はシーツを日に2回は変えていたのではないでしょうか。
布団に敷くバスタオル、特に浸出液が多くでる関節にまくタオル・・・我が家の膨大な量の洗濯物は、植物性の洗剤をごくごく少量使用し、柔軟剤などの化学物質は一切使用しません。
びわの葉、漢方、温泉水、気功、温泉地での湯池療法・・・あとはなにを試したのでしょうか。
ステロイドの恐怖から、病院を拒否するようになった次女。
色々試す自然療法は、継続しなければ効果がでないと言われているものばかり、しかもどれも不味くて大変で苦痛で効果がなかなか現れない、心身ともに衰弱しきった彼女にはほとんど継続する力はありませんでした。
痒みによる不眠。なぜか白内障までひきおこし手術。至るところは自律神経失調症。
白内障は現在、アトピー性皮膚炎の合併症として知られていますが、彼女が手術をした時にはまだほとんど知られておらず、「どうしてアトピーで白内障なの?!」と私が母を問いただす始末でした。母も「わからないんですって・・・」と憔悴しきっていました。
眠剤は、眠れない彼女を睡眠に導くことはありませんでした。
20代の彼女の症状は一進一退。
ステロイドの離脱を終えた彼女の皮膚は肥厚して結節が出来て、アトピー独特の黒ずみを帯びていました。
アトピーになる前の、次女は顔が小さくて細くて可愛くて。ちょっと太めの私は羨望の眼差しで見ていました。人生で一番楽しい時期、彼女はお化粧も外出も、お洒落も思うように出来なくなってしまった・・・。
季節の変わり目には、発疹が生じて痒みがおき彼女を苦しめます。
不眠が続く毎日。
私はこの経過の途中、実家を出たため、彼女の看病は母と三女の役目になりました。
3年前、次女はお嫁にいき、出産もしました。
しかし遠く離れた地で、知人もいない土地での生活は、彼女にストレスという負荷となりのしかかってきたのでしょう。ストレスはアトピーを急激に悪化させます。
案の定、という言い方は妥当ではありませんがやはりアトピーは悪化し、母は遠く広島まで通ったり、滞在したり・・・。
結局次女一家は向こうの親御さんの反対を押し切り、埼玉の私達の実家の近くで居を構えることになりました。
思えば私は、実家から、そして彼女から逃げ出し、やはり彼女のもとへひき戻されたような気がします。
フェイシャルリフレクソロジーという力に私が引き寄せられたのは、やはり運命だったのかもしれません。
手技を学んだ私がまっさきに連絡を入れたのは、次女でした。
彼女の1番大きなディポジットは胃のゾーン。
そして肺、三焦系、小腸系でした。