本人あまり意識していませんが、なぜかよくも悪くも目立つわたしです。
吉報があれば、かならず羨望のアタックが飛んできますし、普通にしていても、うらやましい・・うらやましい・・・ずるい・・・うらやましい・・・みたいな念がビシバシ飛んできます。
いや、わたしも・・・いいことばっかりあったわけじゃないんですけど。^^;
人知れず嫌なことも山ほど(きっと人の何倍もの嫌なこと)も経験してますし、ここは地獄の何丁目~・・っていう時期をさまよっていた長く苦しい時期もありました。
努力してないわけじゃありませんし、多分努力でいえば実は人の何倍もしているほうです。(そんなこと格好悪くて本当は言いたくないけど)
ただ、こうしたアタックや念を飛ばしてくる方の多くは、表面しか見ておらず、幸せそうに笑うわたしの姿だけがわたしだって思うのでしょう。
以前にも書いたことがありますが、楽して笑っている人はいません。
努力なくして成功している人間も、この世には皆無です。
笑顔の裏の苦労や努力を汲んでくれとは言いませんが、自分はなにもせず、他人を羨むだけのその根性を入れ替えることが、幸せへの近道だと思います。(アラ毒舌ですね)
まずは今ある幸せや奇跡を感じれない限り、その人本人はそれ以上のものはなにも手に入れられません。
人は多面体です。
幸せに輝いて見えるその真裏まで輝いていることはありません。文字通り、血や汗や、どうしようもないほど流したたくさんの涙や、えぐれた傷跡、そんなものがあるからこそ、輝き始めたときにその人のキラキラ度が増すのです。
つまり影があるから光が光として見えるだけ。影がなければ光も光としては存在できないでしょう。
わたしが常に笑っていられるのは、幸せだから笑ってる、のではなく、笑うからよいことが起こる、ということを信じているからです。
笑う門には福来る。
このことわざは、いいことがあるから笑う、のでなく、笑うから福がくるんだよ、という意味。真の意味をご存じない方が多いかもしれません。これはなにがあっても笑っていられれば必ずいいことが起こる、という意味。
辛くても苦しくても、笑っているのはなかなか難しいことです。
わたしが良くも悪くも目立つのは昔からですし、完全に家系ですんで、宿命というか、仕方ありませんけど。^^;
でも。。。ハイ、いりませんよ。キャンセルです。ありがとうございます。
だってよく考えてね。みんな同じものは持っていないんですよ。
あなたにはあなただけの素晴らしいものがあって、それはわたしにはない。
それは逆もまたしかりです。
それを羨むほどくだらなく、意味がなく、なにも生まない負の感情はありません。負は負しか生みません。負から幸せは生まれません。負を克服して始めて幸せになれるのでね。それはもう他人の努力でなく、本人の努力あるのみ。
いいないいななんて他人を羨んでる暇があるなら、笑顔の練習でもして体でも動かすことですね。そしてなにかに一生懸命取り組むこと。自分の運は自分で切り開く以外ありません。
タナボタで楽して幸せになったとしても、な~に、そんなのたいして長持ちしませんよ。
全ては自分次第ですから。