プライド、という言葉はけしていい意味で使われることは少ないと思います。
ほとんどいらないものです。
「プライド高いね。」これはほとんどホメ言葉ではないですね。
下手なプライドは自分を覆う壁になります。自分を強固に守ろうとするための鎧みたいなものなのでしょう。立派に見せるために。恥をかかないように。。。でも大抵のプライドは、所詮裸の王様であることが多いです。生きていくのに、自尊心や自信は必要ですが、それとプライドとは少々意味合いが異なる気がします。
人と会話が出来ない方が多いです。コミニケーションがへたくそだったり、出来ない方が蔓延しています。話すことは自分だけの事、相手の話は聞かない。耳はあるのに話が聞けない。心の耳も聞こえないのでしょう。こういう方は総じて身体の声も聞けないので、なんらかのアンバランスが生じています。
そして自分の意見というか、私見ばかりを喋る喋る・・・^^;聞き苦しいのは、自分の事ばかりを喋るからではなく、その意見が非常識きわまりないものであることがほとんどだからでしょう。マイルールが法律とも言わんばかり。
マイルールは結構だと思います。でもポリシーや信念とは全然別のものなのですが、なにか勘違いしちゃってる方は痛々しいです。ポリシー・信念は他人に迷惑をかけない個人の思想ですが、マイルールは違います。傍若無人・マナーも一般的ルールも無関係・いわゆる非常識で、ただただ自分の事だけを考えたものがマイルール。エイヤエイヤと剣をふりかざしている姿に映ります。
ただ、みんながみんな、マイルールを主張しまくって生活していたらどうなるでしょう?本人のアンバランスは対人関係のアンバランスへ発展しますね。
・・・そして究極は戦争。という形になります。
人それぞれですし、個々は素晴らしい存在です。ただ人は1人で生存できない生き物なので、より良い形で共存できるよう、みんなが過ごしやすいよう、誰が決めたとなく、昔々から法律という制度が出来、国によるマナーというものが出来たのではないでしょうか。日本で外国の方が靴をはいたまま家に上がりこんできて、「わたしの国ではこれでいいんだ!だからこれでいいんだ!」と主張したらどう思います?たしかに土足であがったらいけないという法律はありません。でも誰が決めたことではないけど、してはいけないことってたくさんあります。
その国が持つ文化や生活様式というのは法律に等しい暗黙の了解というべきルールなのです。郷に入ったら郷に従え、というのはこういうときに使いますね。これは国という単位だけでなく色々な組織(会社・学校・団体etcetc)に当てはまったりします。
ディスカッション・自己表現が苦手な日本人。もともとの気質、風土、男性優位年功序列・核家族化・親子のコミュニケーション不足・総コンピューター化・・・の社会が生み出したものなので、なかなか抜け出すのは難しいのかもしれませんが、もう少し、広い視点で自分、自分が立っている場所や環境、その周囲を見れたらいいですね。そうしたらいろんなものが見えて、聞けるようになり、そうしたら自分がもっと生き易くなるし、健康でいられるし、結果素敵な人になれるのではないかしら。
必要なのは鎧でも剣でもなく、ただ自立した思い遣りの心なのです。