気になる映画が出てきたら、観られる時に観ておいたほうが良い。

いつでも観られるものと思って後回しにしないのが良いことだけは断言する。

 

上映中の作品だと映画館に足を運んで鑑賞すれば良いが、話題性が低いものだと全国津々浦々にある映画館で上映されているとは限らない。自宅からかなり距離のある映画館には足を運びにくい。

過去に良いなと思った作品を見るために、DVDレンタル店に行って探そうにも、上映が終了してからある程度年数が経過している作品だとDVDを見つけるのが大変困難。

最近も、NHK朝ドラ「虎に翼」に出演している仲野太賀氏の演技に感情移入してしまったので、彼が過去に出演した作品で興味を惹かれるものがないかネットで探していたが、日本語字幕付きのDVDを探すのは難しい。

商品の概要をひとつひとつチェックするが、日本語字幕の有無をきちんと明記していないものもあったので、探すだけで疲労困憊してしまった。

一個だけ面白そうなのを見つけたので、結局、それを購入することにした。

 

このように、最近の映画との関わり方について、短いながらも書き綴ってきたが、若い時に映画をたくさん鑑賞しておけば良かったという思いが常にある。

高校時代までは気になったものがあればたまに鑑賞する程度だったが、大学受験をきっかけに映画を鑑賞する習慣がなくなった。

当時はインターネットが普及し始めた頃だが、映画同様、映像作品に分類されるテレビドラマを視聴する習慣もなくなっていた。

興味の対象が、映像からインターネット上の活字に移ったのだと思う。

20~30代の頃は仕事に関係しない娯楽にはあまり興味が持てず、映画鑑賞をすることは全く考えられない生活を送っていた。

興味の持てそうな映画を探し、映画館に行って鑑賞するというプロセスが、なんとなく無駄に感じられた。

そんな時間があるなら、とにかく一冊でも多くの本を読み、知識や考え方を吸収したかった。

コロナ禍で芸術や芸能は「不要不急」なものであることが再認識されたといわれるが、私にとっての映画は、20代の早い段階から優先順位がとても低く「不要不急」なものであった。

映画を観なくても生きていけると思っていたほど。

不惑を迎える少し前の2020年夏に起きたある事件がきっかけで、長年の凝り固まった思いに変化が訪れた。

俳優として活躍していた三浦春馬氏の自死。

そのニュースを受け、彼が数多くの映画に主演級で出演していたという事実をはじめて知った。

彼の死後に放送されたテレビドラマを数回視聴して、演技力の秀逸さに驚いたので、彼が過去に出演した映画を観てみたいと思うようになった。

ただ、仕事と育児に追われる日々だったので、DVDを探す時間が取れずじまい。

 

最近観た映画は、村上春樹の原作をもとにした「ドライブ・マイ・カー」。

話題性だけでなく質が高い映画を鑑賞したのは、この映画がはじめて。

事前に原作を読んでいたので、原作との少しの違いに違和感を感じる場面もあったが、時間を忘れて鑑賞することができた。

映画は後世に残すことを前提につくられているので、質の高い映画を観ることは心の糧にもつながることを認識させられた。

 

"映画を鑑賞する"ことは、日常を生きる上では贅沢な営みかもしれない。

映画鑑賞する時間が取れないほど、ゆとりが過去になかったという意味では、過去の時間の使い方を非常に後悔する。

20代の頃から、仕事だけでなく余暇をどう過ごすかについても、もっと考え、人生設計すべきだったのではないか?と今更ながら反省している。