実は、私は最近は聴覚障害者との付き合いがほとんどない。
聴覚障害者との付き合いがないからといって、聴覚障害者を取り巻く現状について何も感じないわけがない。
が、かつて、他の聴覚障害者と比べられたり、体験格差をあらゆる場面で感じるなど数々の嫌な思いをしてきた自分としては、何か感じて話したり書こうとなった段階で過去の嫌な思い出が増幅されてしまうので、話したり書くことに対しては腰が非常に重い。
20数年前、障害者の自己責任論(「障害者は甘えるな」論的なもの)が流行し始めた頃、私は学生だった。
軽く見られていたからか、大学の手話サークルに限らず、いろいろな場で嫌なことを聞いたり言われたりすることは日常茶飯事だった。
嫌なことを言った聴覚障害者にしてみれば、「若気の至り」からくる発言だったのかもしれないが、私は今でも許すことができない。憎いという気持ちも当然ある。
彼らの言動がまだ脳裏に焼きついているからか、聴覚障害があるために困っていることや悩みを書こうにも、常に「これを書いたら、甘えている・・・というふうに受け取られるのではないか」と考える。
前に書いたことと重なるが、特に、明瞭な発音能力、高い学歴などの獲得に成功した聴覚障害者で、他の聴覚障害者との接点がそれなりにある人ほど、他の聴覚障害者を値踏みして見ているのではないかという気がしてしまうのだ。
それ位、彼らは他の聴覚障害者に対して非常に厳しいという印象も抱いている。
確率的には低いと思うが、彼らと接点を持つことで、何気ない一言が炎上の原因を作りかねないリスクも常に感じる。
若い頃は年齢を重ねればもう少し気を楽にして話せるのではないか、書けるのではないかと考えていたが、結局は、嫌な記憶が浄化されない限り、いくつになっても話したり書くことができないことに気がついた。
聴覚障害者同士の付き合いは、嫌な言い方になるが、どこか腹の探り合いのようなところがある。
ちなみに、過去に傲慢な発言をしてきた聴覚障害者は、健聴者と聴覚障害者に対する接し方が180度違っていて、健聴者に対してはペコペコするのに、同じ聴覚障害者(人によるかもしれないが)に対してはなぜそこまで冷たくするのかと思う位、素っ気ない態度を取る人がほとんどだった。初対面の時、こちらがきちんと目を見て挨拶しても、視線をそらされるどころか、無視されることもよくあった。
健聴の息子(小5)を育てる過程で、当時のことを時々思い出すたびに、そこまでして腹の探り合いをする意味はあるのか・・・?と、傲慢な態度を取る聴覚障害者の心情を考えてしまう。
ここまで書いてきて「聴覚障害者だって、いろいろだ」と反論する人もいるかもしれない。
が、若い頃に、傲慢な態度を取る聴覚障害者に何人も出会ってしまったことで、私の中では聴覚障害者同士の付き合いというと嫌な記憶しかない。正直に言うと・・・。
私ももう40代半ば。年齢的なことから、他の聴覚障害者に対する批判的な見方がもう少し和らいでも良いのではないかと思っているが、当分の間は和らぎそうにもない。
それが、聴覚障害者との付き合いを敬遠する原因にもなっている。
結局何が言いたいの?と言われそうな記事だが、こんな聴覚障害者もいるということを参考程度に知ってもらえるだけでもありがたい。