最近、「体験格差」が子どもの成長にどう影響するかが、メディアで取り上げられるようになっている。

 

息子が通う小学校では数日で夏休みに入るが、夏休み中の"体験"の定番といえば、習い事や家族旅行、アウトドアキャンプ、博物館見学などが思い浮かぶ。

難聴者も、普通の人と同じように、子どもの頃は夏休み中の"体験"を当たり前のように享受してきた人が多いのではないかと思う。

 

私は小学生時代、夏休み中は淡々と公文式に通い、たまに博物館に行く程度だった。

泳ぐのが苦手だったので、小4の時は、一定期間、近くの公営プールで父と毎日泳ぐ練習をしてなんとか泳げるようになった。小5の時は市のスポーツセンターが主催していた一輪車の講習会に通ったことをおぼろげながら憶えている。

家族旅行やアウトドアキャンプの経験は全くない。

一度だけ片道3時間かけて母の実家に行き、1週間泊めていただいたことはあるが、これは家族旅行とはいえないかも。

母の実家は最寄り駅からはかなり離れていて、バスが1~2時間に1本しか停車しない辺鄙な場所に立地しているので、「宿泊」という体験を通して、地方と都会の違いを肌で感じることができた。

とにかく何の変哲もない夏休みを過ごしてきたので、家族旅行やアウトドアキャンプが夏休み中の"体験"の定番であることを知らないまま、成長してしまった。

他の難聴者に比べると、体験してきた数が充分に足りていないというコンプレックスは未だに強くある。

 

以前のブログでも書いたことと重なるが、私はかつて「なんでこんなこともできないの?」「なんでこんなことも知らないの?」と言われる日が続いた。

集団で何かをしようとするとなると、体験の少なさが災いしてか、手先を使う作業や遊びでは周囲にイライラされてばかりだった。

とりわけ、学生時代に経験した屈辱的な出来事は今でも忘れられない。

手話サークルの新入生歓迎会でボウリングをすることになった時、はじめて手に取ったボウルの重さにひどく驚いた。

思わず「ボウルって、(想像以上に)重たいのですね!」と声を上げたら、隣にいた難聴者が私を怪訝そうな目で見ると同時に他の難聴者を呼びつけては「この子、重いなんてバカなことを言ってるよ」とささやくように手話でこそこそ話を始めた。

何か新鮮に感じることがあっても、感想を口にすればバカにされるだけなのだから何も言わずに黙っている方が良いのかと思うこともあった。

 

この出来事を経験したのは25年近く前なので、「体験格差」という言葉はまだ世の中に登場していなかったが、同じ難聴者の間でも「体験格差」が存在することを薄々と感じるようになった。

様々な体験に恵まれてきた難聴者はそうでない難聴者に対して冷たく優しくない、いばっている、意地悪、ずる賢い、自分の考えを押し付ける・・・とにかくネガティブな見方が私のなかで確立されていった。

その見方は今でも全く変わっていない。恵まれた難聴者は都会育ちで経歴もキラキラしている人ばかりだが、私は彼らがとても苦手だ。

実は、講演に呼ばれたりマスメディアで何かとインタビューを受ける機会が多いのも、様々な体験に恵まれた難聴者だが、彼らが【聴覚障害者のすべてを分かっています】みたいな顔をして話すのは納得がいかない。

講演で話す内容はお決まりのパターンだし、偏っていると思うからだ。

 

取り留めもないことを長々と綴ったが、現実、難聴者の間でも「体験格差」は存在する。

あなたの周囲でアグレッシブに活動する難聴者がいたとしたら、その人は子どもの頃から様々な体験に恵まれてきた人なのだということ、機会に恵まれたことで結果として自己肯定感が高くなっていることを強く理解していただきたい。

そして、逆に、アグレッシブでない難聴者がいたとしても、様々な背景や事情があって前向きになれないこと等を汲み取っていただけたらと思う。

(とにかくできないことを責めたり否定的な言動を取るのはNG!)