今日は紙切れだけで繋がっている夫の話をしよう。


夫はどちらかといえば物静かで、喜怒哀楽がほとんど無い人。

まず普通の男の人みたいに冗談を言ったり、ワハハと声をあげて笑うことがほぼ無い。そういえば、夫の笑い声を聞いたのは娘の夫が来た時だけだわニヤニヤ

だからもしかしたら外では笑うのかもしれないね。



気に入らないことがあると押し黙るから、とにかく何かにつけて話し合いということができなくて、

何が気に入らないのかわからない人。


イライラしてるのは空腹時。


娘が子供だったころにはほとんど娘に関心が無く、

だから子供を叱ったことが無い。

もちろん私にも無関心。家庭を持つことに向いてない人なのではないかと思った。

家事も育児も100%私…

いわば仕事しかしないATM夫だった。


退職してからも興味があることしかやらず、絶望的に空気が読めないところは、アスペルガーグレーのにおいがプンプンする…真顔


私の子育ては孤独な戦いだった。実家も義実家も遠かったし、専業主婦だったからワンオペ育児なんか当たり前。そもそもそんな言葉すら無い時代だった。



最近でこそたまに娘が帰省する時だけ話すからか、夫は年々オシャベリになったが、

若い時には本当に無口だった。とにかく何を考えているのかまるでわからなかった。


若いころの夫はいつも眉間に皺を寄せて難しい顔をしていて、(後に仕事が大変だったと知った)


私が子供の話をしてもほとんど聞いていなくて、

子供を遊びに連れて出かけても、なんだかいつも心ここに在らずでつまらなそうにしている人だった。


そんなだから、私は子育てに関しては父親と母親の役を両方自分がやらなければならないと力んでいた。

必死すぎて自分がもう色々限界なことに気がつけなかった。

そして娘が中学生のころに、私は心身ともにぶっ壊れて思うように動けなくなった。


眠れない食べられない、そして痩せても痩せてもお腹だけが異様に膨らんでいった。会う人みなに妊婦と間違われるほどに。


腰が痛くてたまらず、買い物に行くのに手押し車が無いと歩けなくなった。妊婦みたいなのにおばあさんみたいに歩く私をすれ違う人みな振り返って見た。全てが鬱陶しかった。

あまりに腹が重たいので、妊婦用のガードルをはいて我慢していたwニヤニヤ



風呂から上がろうとすれば気を失う、電話していても気を失う、フラフラで階段が登れない、あまりに貧血が酷いので病院に仕方なく行ったら

腹の中にはデッカい腫瘍(良性)が育っていた。

先生からは

「長年医者やってるけど、こんなデカイの初めて見たよ!あんたおかしいと思わなかったのか?」と言われて、

「まあ気付いてたけど手術と入院が嫌で」と言ったら、心底呆れた顔をされた🥸

しばらく生理を薬で止めて貧血が改善されてから、手術することになり入院した。


入院中、夫は仕事が終わると毎日病院にやってきた。正直、入院中までヤツの顔を見たくなかった🤣

なんのつもりだ?って感じしかしなかった。


だって、術後40度以上熱があり痛みにうなっている私に体調をきくわけでもなく、

来るとただ黙って椅子に座り本を読み、一時間くらいすると「じゃあ」と言って帰っていくのだからはてなマークはてなマークはてなマーク凝視

毎日毎日、そんなんしに来る意味がわからんかった


今にして思えば、仕事終わりに早く帰って呑みたいだろうに、わざわざ来てくれていたのだから、感謝すべきだったのだろう。


きっと夫なりの気づかいだったのだろう。

私と夫はいつだって恐ろしく噛み合わなかった…。