あと何回母に会えるだろう…。見るたびに母は弱っていく。春にはまだもう少し元気だったが、今は余命宣告を受け、痛みに苦しみながら、肩で息をし、それでも必死に終活に励んでいる。とにかく几帳面で、全てを自分が取り仕切りたい母らしい。


私が物心ついてからずっと太っていた母は、見る影もないくらい痩せて小さくなった。

こんなふうにできるのは最後かもしれないと思いながら、みんなで一緒に写真を撮った。上手く笑えない。目を見たら涙が出そうになる。娘の可愛さと明るさにみんなが救われている。一人っ子で愛されて育った娘は愛されるのが上手い。



異常な厳しさに家を飛び出した日もあった、

大人になってからも何一つ自由にさせてはもらえず、毒親によって諦めた儚い恋もあり、

近年も長期に渡り無視や罵倒されたりと、冷徹さと姉妹間差別的に絶望し泣かされた日もあった。頑固で理解無い毒親ぶりに怒りを感じた日もあった。


だけど、余命宣告を受けた辛さを理不尽とわかりながらぶつけられるのは、きっと私しか居なかったのだと思う。それならば私はサンドバッグになってあげよう。


実際に母に会ったら、もう全てを許したい、母が心穏やかに残りの時間を過ごせるように私ができること、私にしかできないことをしたいと心から思った。

母の心に最後まで1番引っかかっている心配事、それを私が解決することを今日思い切って提案した。父は冗談ぽく捉えていたが、私と母は本気で話を進めるつもりだ。

母の気が変わらなければ、近々実現するだろう。

本決まりになればアメンバー限定で記事にします。


やっぱりね、私は毒母には憤りや悲しみを抱えていたが、母のことはどんなに唯我独尊の鋼と思っても、やはりどうしようもなく愛しいのです。

それを思い知らされた今回の帰省でした。


往復五時間以上のロングドライブが六年ぶりにできたのは、躁期だからです。アップダウンの激しい長い長いクネクネ道は、まるで人生というヤツの象徴のようだ。もう今日は疲労の塊。


娘夫婦が同行してくれて本当に良かった。一人では行けたかわからない。

父母にとっては、不完全な頼りない私より愛されキャラの娘の方が癒しの存在なのだ。娘が居てくれるだけで空気が変わる。

メンタル最弱な私にとって、今は実家に行くのは勇気と気合いが要る。どんどん小さくなる母の命の灯火を見なければならない辛さに、目を背け逃げ出したくなる。母よ、やっぱり愛しているよ、一生片想いでもね。

また可愛い娘と行くからね、それまでもう少しがんばるんだよ。