8月12日 ロシア視察記2 | 石川県議会議員 不破大仁 オフィシャルブログ「熱意と決意の真剣勝負!」Powered by Ameba

8月12日 ロシア視察記2

つづく・・・と書いておきながら3日もあけてしまった。



さて、イルクーツクの空港を9時過ぎに出て、5、6時間飛行機[E:airplane]に乗ったのだが、時差の関係でモスクワの空港に着いたのは10時過ぎ。つまり、この日の”一日”は29時間。



モスクワ市内に出ると温度計が37℃とか38℃とか示している。見ているだけで暑い[E:wobbly]。昼食後、ホテルに荷物を置いて赤の広場へ。クレムリン内部の宝物庫も見学予定だったが、当日は急遽非公開[E:ng]になったとのこと。現地ガイドさんが「ロシアはこういうことが良くあります」と説明。うーんさすがロシア[E:coldsweats01]。



学生時代にはバイト代をためてよく海外に出ていた私は、行く先々の言葉を少しでも覚えて帰るのが楽しみだった。今回もその血が騒いだのか、難解なロシア語の解読に挑む。随行の事務局職員が持っていたロシア語ガイドブックを借りて移動の飛行機やバスでたくさん読み、少しずつ覚える。



「PECTPAH」たしかこんな綴りでよかったと思うが、これをレストランと読む。P=R、C=S、H=Nだったりする。ちなみにy=Uなので、Py=RU=ルと読む。このあたりの法則が分かってくれば、あとは単なるパズル。外来語をロシア語表記にしてあるものは大体読めるようになった。Φ=Fなので、KAΦEがカフェだったりする。



こうなると街並みを見ていてもやたらと薬局や花屋が多いなぁとか、自動車関連の店が並んでいるなとか、違った目線での情報にも気がいくようになる。ロシア人が英語圏に行ったときは大変だろうなぁーといらない心配までしてみる。



 



さて、翌朝、ジェトロロシアの所長さんにホテルまでお越しいただき、朝食をとりながらロシアの経済状況についてお話をいただく。人口は1億4千万人、100万人都市が11あり、全てが欧州寄りに存在する。日本国内では見えてこないロシアの状況があるとのこと。今後のロシアの経済成長は無視できないし、しっかりと日本にもその好影響を引っ張ってくる必要性があると強く感じた。



その後すぐバス[E:bus]に乗り280キロほど離れたヤロスラブリ市へ。金沢からだと大阪くらいまでか。高速道路はない。外は森林火災の影響で煙に覆われている。前日はそうでもなかったが、この日の煙はスゴイ。すこーしコールタールっぽいにおいまでする。遠くの景色はかすんで見えない。



ロシアは急激に車が増えたからなのか交通事情が良くない。交通ルールとかマナーとかも関係ない感じ。だから約1週間の視察の間にいくつの事故を見たのか覚えてないくらいたくさんの事故を見た。我々の乗ったバスも何度も急ブレーキを踏んでいる。



コマツ製作所につくとコマツロシア工場の社長、副社長が出迎えてくれた。まだ稼動し始めたばかりで社外の日本人が訪問したのは初めてとのことで、熱烈歓迎にうれしくなる。コマツのロシアでの今後の戦略やこの工場を立ち上げる際の苦労話などをお聞きする。



さらに我々としては、金沢港のコマツ製作所との関係が気になるところ。聞くと、どうやら今のところはシベリア鉄道[E:train][E:train][E:train][E:train]を利用するのではなく、喜望峰まわり[E:ship]でサンクトペテルブルグまで運ぶのが主流らしい。シベリア鉄道には貨車が足りないらしい。ただ、運搬日数は明らかにシベリア鉄道の方が早い。日本がロシアとの貿易を盛んにする生命線かもしれない。



夜はコマツロシア工場の社長、副社長のお二人も一緒に食事をする。ボルガ川のほとりの「PECTPAH」[E:restaurant]。ロシア国内の事情やロシア人の気質、対日あるいは対米感情についてなどいろいろとお聞きする。ロシアに暮らす日本人が感じるロシア感は、日本国内では絶対に知ることのできないものであった。



 



ホテルに戻り、ロシア最後の夜なので、高岩、小林両市議とちょっと散策に出る。10分ほど歩いたところにある商店で、なるべくロシア語を使ってビール[E:beer]を買ってみる。うまく買えて大満足[E:happy02]。ホテルに戻る途中で若者グループに英語で話しかけられる。そんなに喋れるわけではないが、少し話してみる。



グループの一人の女の子が「何処から来たの?」と聞くので、「日本の金沢市だけど知ってる?」と言うと、「知ってる!だって私イルクーツク出身だもん!」とのこと。「おぉー[E:sign03]マジでー」と大盛り上がり。偶然にしてはすごすぎる。どう見ても一般の市民なのに金沢のことを知っている。姉妹都市ってスゴイって初めて思った。散策してよかった。このグループには、他にもブルガリア人が混ざっていたりして、何の集まりなんだろう?と今でも良く分からないが、にこやかに分かれてホテルに戻る。



 



翌日、さらにひどくなる煙の中、飛行機飛ぶのかな?と心配しながらロシアを離れる。今回の視察では、ロシアという国に対する見方や考え方が大きく変わった。未だに社会主義国家で、訳の分からない国的なイメージは大きく変わった。水は茶色いし、道路も汚いし、交通事故も多いけど、潜在能力の高さを感じた。特にロシア在住の日本人から話を聞いて以降、そう感じた。日本海側が積極的に日本の窓口役を、リードしていく役を担っていく気概でまちづくりを政治をしていく必要を感じた視察であった。