先週、Eテレで「患者が医療を変える 〜肺がんサバイバーの挑戦〜 」を観ました。

実は、喫煙者でない母が、肺がんでこの世を去ったからです。
 

番組に登場していた長谷川一男さんは、13年前に医師から肺がんであることを告知され、さらに余命10か月と。しかし、2015年に患者会も立ち上げ、最先端のがん治療の情報を患者に届くよう活動している様子などを伝えていました。

 

患者会の立ち上げが2015年。奇しくも母が亡くなった年です。
(先程調べたら設立日が母の命日。何という偶然なのでしょうか)

 

もう少し、早くに患者会が発足されていたら絶対に「入っていた」と思いました。

当時、私も、息子の中学受験(受験学年)で伴奏しながら、「肺がん」についての情報収集をしていて、院内での講演会に参加したり、治療法を探すなど。どんな細かな「情報」でもほしかった……

 

医療は日進月歩。

この前までなおらなかった病気も、今だったら「治る」あるいは「延命」も可能です。

 

もし母が「もうひとがんばり」してくれていたら、また違った結果になっていなかっただろうかと、いまだ考えます。

 

しかし、一方で、あのときの母は、宣告の重圧に負け、生きる気力を失っていました。

それは、母が一人で闘うことの怖さやさまざまな理由からだったのかもしれません。

そしてもう一つ。いくら、私たちが全力でサポートとしても、闘う当事者の年齢…。この点からも、『治療』を乗り越えてほしいと訴えるのも、酷な話しだとも思ってなりません。

 

何が正解で、間違っているのかわかりませんが、選択は、自身であり、この選択に対して異議を唱えるのも少し違うのではないかと思ったり…

 

生前、母が、私に「私のことを、【書いて】いいんだよ」と言ってくれましたが、9年経った今でも、一度も、文字にしたことはありませんでした。今回が初めてです。

 

今やがんは『2人に1人』と言われる時代の中で、いつ自分が、あるいは愛する人ががんを患うのかわかりません。

 

なんかまとまりのない文章になってしまいましたが、まだ「母の死」の整理ができていないのです。封印しています。これから先もせずにいるかもしれません。いえ、明日するかもしれません。ただ、心のおもむくままでいたい、そう考えています。