ちょっぴり今日は昨日思ったことをダラダラ?つれづれ?書きます。
昨日午前中、茶道の先生方とお話する機会に恵まれ、午後には別ジャンルの講演会、その後、茶道練習に拉致られお茶とお菓子を頂いてたら...あっという間に夜でした💦
日中元気そうに参加できても、帰宅したらバタンキュー。家事なんか出来ナイ...
がん罹患してる人、そんなことない?
薬で肝臓が疲労してるのかな?
疲労耐性が低くなったよねーーーー💧
午後からの講演会は終末期医療の宗教介入的な話で、京都のビハーラ(仏教系ホスピス)病院の看護婦さんの話でした。
これは癌患者対象の話ではなくて一般向けだから、
講演の話は良くても、質疑応答が...
終末期についての興味津々感が質疑応答する人の話に漂ってて、癌患者当事者には下品に感じました。
一般の元気な人にとっては、死は他人事で
やっぱりそこには罹患者と罹患してない人の間に一線?深い谷?があるよな~と思います。
死なんて、みんな当事者としていずれ体験するもんだから、騒ぐな!!!!今を生きろ!(興味津々になって話聞いて擬似体験感を持ったところでいずれくる)...って思ふ。
質疑応答って講演内で分からないことや疑問に感じることを聞く時間なんだと思うんだけど、なんだろ?
自己満足で手を上げて話する人が多くないですかー??
同調して欲しいとか、そういう思いの話は質疑応答ではなくカウンセリングや個人的にお話するとか...じゃないの?普通???
質問してやったぜ!人前で話できる私!って爪痕残す必要あるの?って思う。
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講演会アルアルでは?
たまに講演会的なことの主催者団体側にいることもあるので...常々思うこともあって...
講演会の中には主催者側が『質疑応答がないと失礼だから...』とあらかじめサクラを仕込んだりすることもあるけど、あれも必要ある?って思うんですよね。
質疑応答がないのは、そもそも失礼なのか???
質疑応答がないくらい丁寧に話された証じゃないのか?
で、その後、拉致られて茶道教室にお邪魔したのですが...
こちらでも思うことが。
茶道文化って元々は武家男子の政治的社交として栄えた文化じゃないですか?
この文化が輸入された英国では、男子は既にカフェバー(コーヒー)文化が栄えてた為に女性中心のティーパーティー文化として広がるのですが...
当の日本も、現状、着物警察的なおば様方多数で女性の習い事のように変質している訳で、
これって現代
『ジェンダー!ジェンダー!女性は強いたげられてる!女性にはガラスの天井があって...』というジェンダーフリー活動が活発ですけど、
本当に女性は強いたげられてきただけなのか?って思うんですよ。
なぜか正客とか重要なポイントには男性が立てられがちですけど、それって責任は男性が取れとばかりで、
そうしてる中で着々としたたかに女性がその場に浸透してきてる訳で、実は女性めっちゃ強いよ!!!って思うんですよ。
ジェンダーフリーが公に叫ばれる今はもう、女性めっちゃ強いが表面化してきた全盛期のトリガーなんじゃなかろうか?
そのうち、アマゾネス化して、男性が集まってティーパーティーしてランチして、「男性が強いたげられてる!」って世の中が来るかもしれないけれど、男性にそのしたたかさがあるのだろうか?
そんなことを思いながらお茶席に座ってました。
相変わらず正座は嫌い。
日本人が足が短い原因。
ある意味、行。
難しい先生方じゃない教室みたいで椅子に座るように促されるけど...変なプライドが許さん。
邪念一杯のお抹茶席でした。
邪念と足のしびれでお茶もお菓子も味がしませんでした。
ただ、器みたり屏風や掛け軸みたり道具みたりするのが好きなので楽しかったです。
風流なことをしてきたのに、晩御飯は疲れ果ててコンビニ飯。
なんだこれ。プラスマイナス0よ。