1973年4月に電話級アマチュア無線技士の国家試験を受験して、合格後にアマチュア無線局の免許申請を行い、「JH4EBG」の免許が1974年1月19日付けで発行されて50年経ちました。
BCLも楽しんでいたのですが、初歩のラジオかラジオの製作だったか忘れましたが、アマチュア無線の記事とミズホ通信の広告に惹かれて国家試験を受けてみようと思い立ったのがきっかけでした。
開局後は、RJX-601と物干し台から上げた自作ダイポールで同年代の方々と毎晩ラグチューしたり、梅雨の頃から晩夏にかけてはEスポでのQSOを楽しみ、ようやく1976年にAJDが完成しました。
当時、広島市内の銀山町にJARLの地方本部の事務所があり、QSLカードを持参して申請し、直接アワードをいただきました。
何故か会長名がありません。。。(謎)
1977年に電信級を取得し、高校のクラブ局(JA4YAX)でHFの運用をしたりしていました。
高校を卒業して1エリアの大学に入ってからは、夏休みなどに帰省した際にたまに実家で運用するくらいになりました。
就職後も1エリアで、仕事も忙しくアマチュア無線を楽しめる環境ではなかったのですが、1990年に東京都江戸川区の高層住宅に引っ越し、アマチュア無線を再開しました。
2アマの免許と1エリアのコールサイン「7L1DST」も取得しました。
ベランダにHB9CVを取り付け、50MHzバンドを中心に運用し、コンテストで入賞することもできました。
この頃は、50MHzバンドで全国で活発に移動運用される方々が多く、おかげさまで1998年にWACAも取得することができました。
その後、名古屋、大阪と転勤が続き、アマチュア無線からも遠ざかっていましたが、東京に戻って現在の住まい(東京都江東区)になってからアマチュア無線を再開しました。
あまりロケーションも良くないし、アンテナもベランダに設置したホイップアンテナなのでどうかな?と思っていたのですが、デジタル(JT65)で運用すると結構楽しめることがわかり、リグも新しい機種を導入しました。
また、コールサインは「7L1DST」を使って運用していますが、GAWANTを使っての運用やPOTA活を最近では楽しんでいます。
50年の間、仕事や住まいなど環境も次々と変化しましたが、なんとなくアマチュア無線は中断しながらも自分なりに楽しめてきたかなと思っています。
楽しめるのもQSOしていただける、アイボールしていただける方々などお相手がいて、いろいろなコミュニケーションができるおかげかと思っています。
これからも引き続き、よろしくお願いいたします。