彼女のことはいろいろなサイトに多くの情報が掲載されているので、西洋占星術の出生図と欽天四化紫微斗数の命盤を比較検証していくことができます。
すでに多くの占術家の方が、山口百恵様の出生図や四柱命式でご説明されていますが、わたくしは、一点、彼女の遷移宮が非常に気になりました。
今回は、この遷移宮のみかたについて、山口百恵様の欽天四化命盤を使って考察してみます。
遷移宮に異性の星の生年Dをお持ちの方には、とても参考になる記事と思います。
彼女の欽天四化の命盤はつぎです。
ご覧いただくと遷移宮が生年D・自化Aで双忌となっています。
変化変動が大きく、前回のブログで取り上げさせていただいた三浦春馬氏と一緒で冲命宮の作用も大きくなります。
春馬氏と違う点は、彼の場合は生年Dが天同なので「自己の星」。
百恵様は、天機Dなので「異性の星」です。
西洋占星術のいろいろな先生方が、山口百恵様の出生データを1959年1月17日、午前8時、東京生れとされていたのでそれで上記命盤を出しました。
最初は、このお生れの時刻(辰刻)は間違っているのでは?
と思ったのです。
男の星の天機Dが遷移宮、貪狼Aが奴僕宮。
いずれも六外宮。
これは、一般的に、欽天四化では結婚するとかなり離婚に注意の命とみます。
夫は夫としての責任感に乏しくかつ、桃花(浮気、不倫注意の人)の人ともみれるからです。
しかし、実際、夫の三浦友和氏はそのような人ではないはず。
友和氏、百恵様ご夫婦は相思相愛で結婚されたと記憶していますし、一度も週刊誌をにぎわすような夫婦のスキャンダルを目にしたことはありません。
事実、西洋占星術の百恵様の出生図をみると、夫である友和氏とは過去世も夫婦であったと思われます。(これについてはあとで説明します)
さて、サイトで山口百恵様のことを調べると、失礼ながら、百恵様は愛人の子として生れ、父親は父親らしいことはまったくしてこなかったということです。
これは、命盤をみると男星は結婚するまでは父親をみてもいいので、そのとおりであるとも言えます。
では、どうして、(失礼ながら)父親が責任感に乏しく浮気ぽい人で、夫はそうならなかったのか?
友和氏はみるからに堅実そうな、古風な感じのする人。
それは、出生図の太陽・山羊座にも出ていると思います。(下の出生図参照)
数日の間、寝ても覚めても上の命盤が頭にこびり付いていました。
そうして、頭にひらめいたのは、遷移宮に出ている天機Dは、父親をみる場合と夫をみる場合とでは異なる象意が出て来るのではということです。
つまりこうです。
●父親をみる場合➡遷移宮は父母宮の奴僕宮➡責任感乏しい
●夫をみる場合➡遷移宮は夫妻宮の財帛宮➡責任感あり
飛星派の紫微斗数では遷移宮はとても大切。
実際、飛星派で四化を飛ばして毎年のいろいろな人事事相の吉凶をみるとき、必ず流年命宮とともに流年遷移宮をみるのが法則。
また、これまでの既婚者の鑑定で、遷移宮に異性の星の生年Dをお持ちの方であっても、夫婦円満とまでは言えなくても問題ないご夫婦もおられたように思います。
このようにとらえれば、百恵様のお父様は父親らしからぬ責任感に乏しき男性であり、それに対して夫である友和氏は責任感ある人とみることが可能ではないか?
この件に関しては、とても大切なことなので、わたくしの師である台湾の陳老師に確認したいと思います。
つぎに、百恵様の出生図をみてみます。
ハウスの分割法は「ポルフュリオス」で出しています。
先程、夫である友和氏と過去世でも夫婦であったのではとお伝えしました。
それは、パートナーをみる7ハウスのカスプが獅子座で、獅子座の支配星の太陽が12ハウスにあります。
12ハウスは過去世もみるハウス。
よって、過去世でも夫婦であった? ということです。
父親の星を11ハウスの土星とみて、これがACとセミスクエア。
父親との葛藤を垣間見ることができます。
また、この出生図には、どうして山口百恵様が若くして芸能界から完全に引退し、家庭婦人になったのかがよく出ていると思います。
百恵様の魂の目的、進化成長のための環境をみるとそれが必然であったと思われます。
これについては、欽天四化の命盤と併せて、次回のブログでお話させていただきます。
占風鐸・オンラインスクール
主宰 田中宏明
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