学生の二十歳のときだったと思います。
大阪の梅田にある亀石厓風先生の四柱推命の教室にお世話になりました。
まったくの初心者だったので、最初の何回かの基礎のお勉強は、師範の超美人の独身の先生にご指導いただきました。
その方のことは、いまでもよく覚えています。
わたくしの命式の日時の偏印がとても強いので、その女性の先生は、「田中さんは、晩年、四柱推命の先生に向いていますよ」とおっしゃいました。
当時の浅薄な知識でも、偏印は九流術業の星で占い師に向くとは知っていましたが、あれから何十年という歳月を経てそれが現実となり、何とも言えない感慨深いものがあります。
あとから知ったのですが、わたくしの先輩でもあるその師範の先生は、独身のまま若くして亡くなられました。
美人薄命という言葉がそのとき脳裏をよぎりました。
確か、その先生は印星大過の命だったと思います。
わたくしもそれから1~2年後、師範の教室に入ることができました。
同じ教室の先輩には、元校長先生や現役の銀行の支店長様や中小企業の社長様はじめ、多士済々。わたくしはまだ学生の身でしたが、よい人生勉強の時間でありました。
亀石先生は、常々「四柱推命は崇高な人間学であり、万人活学の学問である」とおっしゃっていました。
四柱推命は、単に人間を品定めするようなツールではなく、真に天分を活かして社会に貢献するためにどのような生き方をすべきか? を知らしめる実学であるということです。
先生は戦前の教育を受けた方で、ある意味、儒学者のような高邁な理想をお持ちでしたので、いかなる命式に対してもそれは天が与えたものとして真摯に対峙すべきというお考えだったように思います。
破格、貧命(あまり使いたくない言葉ですが)の人は、「(今世は)修行がよくできると思って感謝しなさい」とまで言われていましたので、「ものは考えようだな」と思う反面、それが当事者であれば素直に受け入れることができるか? とよく自問自答していました。
四柱推命愛好家の方はお分かりだと思いますが、四柱推命のような高度な命術は、亀石先生が言われたように最高の人間学のひとつでありますが、しかし、時として自ら(あるいは第三者)の魂を突き刺す諸刃の剣にもなるおそれがあります。
これは、これから四柱推命や欽天四化紫微斗数を勉強したいという方は、よく認識しておくことが大切です。
それなりのタフな精神が必要なように思います。
怖いことは知りたくない・・・という方は、自ら勉強されるのは控えられたほうが賢明かも知れません。
ただ、自分の本質(先天と後天を含めて)を知る術においては、これに勝る勉強はないと確信しています。
きょうもお読みいただき、有り難うございました。
芦屋占い処・占風鐸 代表 田中宏明
芦屋占い処・占風鐸