●占いに頼っていては根本的な解決にはならない。
幸田露伴先生の名作「運命」につぎのような文章があります。
『仮令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ』
※巫覡卜相…神に仕える巫女や易者のこと
現代的に解釈しますと、人間は仮に持って生まれた運命のようなものがあっても、それを予め知ることは難しい。そのような分かりもしない運命を畏れて、宗教家や易者のたぐいの連中に頼るよりは、誰でも知ろうすれば知れる古聖前賢の教えをよく学んで安心の境地を得たほうがよい。
というような意味だと思います。
もっと簡単にに言えば、
〝宗教家や占い師に頼るより、古典などで自分で学んで道を切り開きなさい〟
ということです。
さすが、「努力論」を書かれた幸田露伴先生のお言葉ですね。
実は、この言葉が前々回のブログでご紹介した、我が師・亀石厓風先生の著作「正しい生き方がわかる本」の冒頭に出てきます。
ちょっと驚きですね。
我が師の言わんとしたかったことは、〝占いに頼っていては根本的な解決にはなりませんよ〟ということだと思います。
肝に銘じたい言葉です。
さて、わたくしが占術にもとめることは、
1.岐路に立ったときの判断材料
2.因縁自覚の一助として
このふたつです。
それ以外の相性がどうのこうのとか、適職がどうのこうのというのは、申し訳ありませんがあまり関心がありません。
でも、鑑定を業としてやっていますので、求められれば教えも致します。
上記1と2の用い方なら幸田露伴先生も少しはお認め頂けるのではと思っています。
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