「伝えたい」「感動を共有したい」
その欲求に、いつも忠実でいたい。
「承認欲求」それもあるかもしれない
でも、それ以上に「共有したい気持ち」が大きい。
やっぱり「感動」したり「嬉しかった」りするとその感動を伝えたい衝動にかられる。
小さな感動。ささやかな喜び。
・美味しいもの食べた
・可愛いカフェ見つけた
・素敵に写真を撮ってもらった
・虹が出てた
・新作芋スイーツ出てた
・ミセスのPVで泣いた
などなど
大したことじゃなくても、みんな知ってることでも
誰かに伝えたくなるし、感動を共有したいと思う。
共感してもらえたら
誰かの背中を押すきっかけになれたら
そんな嬉しいことないって思う。
※押し付けは良くない(笑)
「伝えたい理由」を深掘りする、その手間や時間惜しまないのも大事。
「伝えたいこと」を自分に落とし込めてないのに
「伝え方さえどうにかすれば届く」
ってことでもないと思う。
「伝えたいこと」は、きっと提供しているモノやサービスにも内包されてる。
上手く言えないことや
たどたどしくなることより
✔︎ 伝えたいことを落とし込めてない
✔︎ 伝えたい価値がはっきりしてない
それが相手に伝わらなかったり、うわすべる要因になる。
本気度は、目には見えないし
伝えたいほどには、伝わらない。
(と、わたしは思いながら続けてる)
SNSを続けながら
文字になった自分の想い見ることによって、自分との対話も深まっていく。
「伝えたい」その先に誰との、どんな関係を望んでるのか?
いっぽの先にある出会い
いっぽの先にある可能性に期待して
焦らず、いっぽいっぽ。