いつもの通り個人的見解ですが
最近病気の方のお話を
テレビやネットなど色々見聞きして
思うことがあります。
以前、人生はテーマ次第という記事を書きましたが
やっぱりそうだなぁと思いました。
病気と「闘う」と決めた方はやはり「闘っている」し
病気と闘うのをやめて
病気が「教えてくれた」と感じている方は
病気が「教えてくれた」ことをもとに
穏やかに過ごして、次のステージへふわふわと進んでいる
ように、私は感じました。
(いつも読んで下さってる方はご存知のとおり
私のおすすめが「闘わない」であり
人の数だけ正解があるので、「闘う」も「闘わない」も
その他の選択肢も全てその人の正解だと思います)
実は、私が思うに
これは、ある程度「療養生活」が長くなった方の話で、
比較的発症が最近で(数か月~数年くらいでしょうか)
今、苦しんで毎日
「どうして理解してくれないの」
「痛くて苦しくてたまらない」
と
現実が進まないし
嵐のような苦しみの中の方は、まだ、
「テーマ次第」という段階に到達していない
場合がある気がします。
これを読んで
「こんなに頑張っているのに到達してない」って
馬鹿にしてるの!?
と、思われた方、ちょっと待ってください![]()
馬鹿にしているのではなく
逆に「チャンスタイム」という意味です。
「はぁ!?こんな苦しいのにチャンスタイムだと?」
と、思われたかもしれませんが、ちょっと待ってください![]()
「テーマ次第」になっていないということは
自分が定めた「テーマ」通りの世界ができていない
ので、
まだ
どんな世界にするか、選び放題
という「超ウルトラチャンス
」だと
私は思います!
(つまり、以前から言ってますゼロ地点です)
どういうことかと言いますと
例えば
A:闘う
の道を選んだとします。
分かり易く、就職で例えると
私は闘いたい!
と、望み通り競争の激しい会社に就職したとします。
このまま「競争って楽しいね!」となれば
そのままで良いのですが
「競争が苦しいよ…」と気が変わった場合
「競争の激しい会社に勤めている」という世界を
一旦破壊(というと言い方がきついですが)する
もしくは手放す必要があるんです。
そうすると、配置転換だったり、辞める決断……
などなど、エネルギーがいりますよね。
でもまだ就職すらしていない(世界が構築されていない)と
A:闘う
B:闘わない
C:やりがいを求める
D:みんな仲良しで飲み会がしたい
E:仕事をプライベートは別!定時でさっさと帰る
F:上司の太鼓持ちになり、じわじわ出世を狙う
……などなど
どんな会社(道)でも自由に選べるんです。
つまり、構築された世界がないということは
前の世界が破壊された状態であり
以前の世界観が、例えば
「闘って苦しかったなぁ」と感じていて
「もう闘わず穏やかに生きたいな」と転換したければ
今、転換できる時なのです。
今は分かり易く会社で例えましたが
みなさんの世界も
「闘う」世界
私のおすすめ「闘わない」世界
……その他
どんな世界も選べて
みなさんが一番悩んでいる
「線維筋痛症」にも、この世界観が反映されると思います。
お仕事をやめたりして、
持っていたものがみんな手からすり抜けた感覚の方も
いらっしゃるかもしれませんが
そういう何も持たない場合、まだ、今は起点しかなくて
自分の向かう方向をどう定めるかで
段々、それにふさわしい現実が、
徐々にやってくるかと思います。
時間がかかるかもしれません。
途中で心折れるかもしれません。
でも、
設定をちゃんとして
遠くのほうに自分が望むものをちゃんと見ていて
気持ちが堕ちてもまた這い上がれば
きっちり望んだ台本通りにはならないものですが
大まかに定めた方向に進むはずです。
体の自由がきかなくて、
行動範囲が制限されている方もいらっしゃるでしょうが
自分が作る思い(世界)の方向に関しては
自分は何処でも行けるし
自分は何にでもなれる
のだと思います。
逆に言うと、
未来が望むものになるのかどうかは
線維筋痛症のせいではなく
実は
全て自分の思いによる責任なのかもしれません。
完治するかどうかはさておき
生きていれば、必ず明日や未来はやってきます。
完治していなくても、思いは毎日発しているので
ちょっとずつ、世界の構築は始まっているかもしれません![]()
