病気を手放すって、時々聞きますよね。
このことについて、
あくまでも私の話をしたいと思います。
長期間、病気が治らないということは
病気を握りしめているからですよ
ってことなのかもしれませんが
私は病気を手放すことができなかったです。
そもそも意味が良くわかりませんでした。
だって、
病気なんて苦しい物は
四六時中手放したいに決まっていますから。
ここで焦点になるのは
「疾病利得」なのではないでしょうか。
疾病利得とは、症状があることで利益があることです。
例えば、子供の頃で言えば
病気になったらお母さんに看病して優しくしてもらえるとか
学校を休めるとかですね。
線維筋痛症の場合も、何かしらあるのかもしれません。
子供の時のように、利益には気づきにくくて
「何で治らないの!」とイライラしたり、
悲観的になったり、
利益があるようには思えないのですが
自分のストレスの原因となっているものから
逃げたかったけど、自力では逃げられなくて
病気のお陰で回避できたとか。
疲れているから休養したいけど
それがなかなかできなくて、
病気のお陰で強制的に休養がとれたとか。
(線維筋痛症になるような方は、優等生タイプというか
大人として、自分の気持ちを抑え込んでしまう方も多いのではないでしょうか)
で、それを自分の口で誰かにはっきりと
「私は休みたいんです」
「私は〇〇さんのせいでストレスが溜まっています」
と言って、病気になる前にストレスの原因から逃れられたら
たしかに病気にならずに済んだのかもしれません。
このあたりが、私が読んだ本などに書いてあり、
振り返ってみて、確かにそうだと思ってみたり
後悔もしてみました。
でもですね、疾病利得の存在に気付いて
治ることもあるかもしれませんが
それだけじゃないこともある気がします。
もっと、大きな人生の流れがあって
病気という人生を通して、学ぶことがあって
まだ治る時じゃないという場合もあるんじゃないかと思います。
だから、治療などにベストを尽くした上で
病気を手放すことが上手くいかないとしても
自分を責めたり、イライラしたり、
本当の気持ちを言えなかった自分を「弱い」とか「ダメ」とか
思う必要もないと思うのです。
恐らく
線維筋痛症の場合だと
結構我慢して、頑張ってきたので
精神の限界が来る前に
線維筋痛症になってでも
「ストレス」を回避する必要があった
のかもしれません。
そうして、回避したことによって
ゆっくり自分の人生を見直す時間を得られた
のかもしれません。
だから、線維筋痛症がくれたプレゼントを受け取って
思いっきり人生を見つめ直す方が
良いのかもしれません![]()
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みなさんも病気になって色々調べる中で
「病気を手放す」
という言葉に出会うことがあったかもしれません。
私は二度ほどこの言葉に出会って、やってみたのですが
意味がわからなかったり、上手くいきませんでした。
病気を手放すのは大事なステップですが
タイミングも関係していると、個人的に思います。
上手くいけば、それで良いのですが
やってみてできなくて、
私は弱いんだ、だめなんだ、などと感じるのであれば
時期尚早で、その前にやることがある気がします。
それは、
体に無理をさせるということをやめること。
自分を労わること。
誰かに助けてもらうことを悪いことと思わないこと。
(↑感謝の気持ちは忘れずに)
誰かに助けてもらう自分を許すこと。
自分を愛すること。
病気が気づいてほしいことは
ここで、このステップが先なんじゃないかと個人的に思います。
線維筋痛症になってしまった方は
歯を食いしばって、自分で頑張ろうとした方が多くて
そこでの学びが終わり
今度は、
頑張るのではなく、休むことも大事だよ
一人で頑張るのではなく、助けてもらっていいんだよ
とか、逆のステージの学びが始まったのかもしれません。
病気になってしまった…という
罪悪感を手放し
病気の自分ですら、愛せている
ということが重要な気がします。
この為に、線維筋痛症人生で
色々なことが巻き起こると言っても過言ではないかもしれません。
これができたらようやく、
病気である時期を過ごす必要がなくなるのかもしれません。
(こんなことしなくてもさくっと治っちゃう人もいるのかもしれませんが、
私はとても大事だと思います)
そうして、ある程度健康ゾーンに入るときに
「病気を手放す勇気
」が必要になってくると私は思います。
この時期が訪れたと私が思ったのが
「もうこのままじゃ前に進めない」
と急に、閉塞感と、自分が変わる必要性を感じたのと
「もう、いいんじゃないのかな」
と、疾病利得の存在に気付いて、
これまでの生き方を手放す覚悟ができたのです。
私の疾病利得は
以前働いていた会社でのストレスを回避することと、
病気だから、家族に助けてもらえることです。
何年も前に会社のストレスは回避しているので、用済みです。
問題は、家族に助けてもらえることを手放すことでした。
私は、疲労感がかなりあったので、
家族が入院した時なんかは、もちろん助ける側に回ったりもしましたけど
やっぱりベースは助けてもらう側でした。
手放すぞ、思ったとしても
体が無理な場合、健康体の人生を送ろうとすると
かなり恐怖に感じました。
(自分の体調に自信が無いどころか、
健康状態に相当な不安がある状態で、健康な人と同じことなんてできないですよね)
健康になるということは
相手が弱っているときに、自分が助ける側になるんです。
そういう見通しが全く立たない体調の時に
無理に
「病気を手放す」ことをしようとしても
「とてもできそうにない」と考えてしまい、恐怖心がすごかったんです。
無理なものは無理なので
その時期に「病気を手放そう」としなくて良い
と思うんです。
それに、病気の時期にはちゃんと意味があって
必要な学びがあるのだから
病気のときは病気で良いのだと思います。
(病気の自分が、ダメではないのです)
その時期が過ぎて(学びが完了して)、
「病気を手放そう」という覚悟ができる状態になったら、
恐怖心はあるけど、ちゃんとできると思います。
そのタイミングで、勇気を出せば
(健康側の責務も請け負う覚悟が出来たら)
きれいに手放して、
健康を体験する世界に転換できるのかもしれません。