ガタンゴトン……🚃

 

人生の列車に私たちは乗っています。

 

 

あんな学校に行って、

あんな会社に就職して、

優しいパートナーと結婚して、

そのパートナーは安定した会社に勤めていて、

子供は2人いて、家族は仲良しで……

 

などなど。

 

これは例えですが

何らかの理想のビジョンを描いて

できるだけ達成しよう(レールに乗ろう)と努力したりします。

 

 

それが、線維筋痛症になって

一気に台無しになってしまいました。

 

線路が分岐していて、

「左の予定が、右に行っちゃった!」

ではなく、

 

脱線したのかもしれません。

 

 

 

 

発症当時、私は若かったので、柔軟に考える余裕もなく

人生終わった…

と、シクシク泣いていました。

 

私の人生、最悪だ…

全て失って、私には何の価値もないんだ…

 

とにかく、この世の終わりのような顔をして

数年過ごしました。

 

 

あれから15年、今ではブログで

 

「線維筋痛症でも幸せになることは可能です!」

 

としつこい程に言っています。

 

 

 

 

ここまで気持ちが明るくなれたのには

母が最初のきっかけを与えてくれたことが大きかったです。

 

母は何度も

「人生は1回きりなんだから、楽しまなかったら損!」

と言ってくれました。

 

でも

「こんな状態で、どう楽しめと?」

と、どうして良いかわかりませんでした。

 

 

 

その頃からとりあえず

自分を責めるのをやめて

もう今までのレール上での社会復帰は無理でもいいや

と、一旦あきらめたことで

自分が一番強く握りしめていたもの

(今まで努力してきた、学歴や職歴など)

を手放すことができたのです。

 

 

 

そして、毎日を思いっきり楽しむことに決めて

働いていた頃には絶対できなかった

日中にのんびり伸び伸び楽しく過ごすことを満喫しました。

 

ご近所さんからは、

「あそこの娘さん、体が悪いらしくて働いてないのね」

と冷ややかに見られているんだろうな

と思うと、人目が気になり散歩に出るのもいたたまれない気持ちでした。

 

 

 

そんな「人からどう思われるか」や

「世間体」を捨てる勇気が、私には必要だったんです。

 

線維筋痛症になって、

強制的にそういう生き方をせざるを得なくなりました。

 

 

 

頑張れない自分に対して、無価値感を抱えていましたが

自分の気持ちに反して、世間体に合うよう自分に厳しくしてしまう習慣を

線維筋痛症になって、強制的に手放しました。


 

 

一番強く握りしめていたものを手放したら、どうなったかと言うと

よく母親と出かけていたら、お隣の奥さんから

「お母さんと娘さんの仲が良くてうらやましいね」

と、言ってもらえました。

ご近所さんとは今、良好な関係だと思います。

 

 

 

また、不思議なもので

ぎゅーっと握りしめていたものを手放すと

新しい人間関係が入ってきて

その人たちは

私が必死で握りしめていた、一般的に良い条件が何もないのに

私の価値をちゃんと見出してくれて、

ありのままで付き合える人ばかりでした。

 

何かができないと、自分には価値がない

という価値観が間違っていて

何も持たなくても、あなたの価値は変わらないよ

と、教えてくれるために、

線維筋痛症が現れてくれたのかもしれません。

 

 

 

実際、生活に必要な、

キャリアみたいなものは無くなってしまったので

これからの課題はありますが

その生活では得られなかった宝物を

線維筋痛症になって得られました。

 

 

 

もし、人生の列車が脱線したら…

「何とかして、元のレールに戻そう!」と

列車を人力で持ち上げて戻すことや

そもそも脱線しないように

コントロールすることは無理なことも

人生にはあります。

 

 

脱線したら、

「もう人生終わり…」

と、ただひたすら泣いたり、焦ったりして過ごしても

楽しくはないんです。

 

 

 

 

でも、「救助が来るまで、ここで楽しく過ごそう!」

と、列車を降りて外で、

一緒に乗っていた家族と一緒に

ピクニックをするのもありかもしれません。

 

 

他の乗客に「良かったら、サンドイッチいかがですか?」

と、一緒にピクニックをしながらお話していたら

「あ、私も同じ線維筋痛症なんです、お互い大変ですね」

仲間を発見するかもしれません。

 

 

私がバッグにつけていたキーホルダーを見た人と

「もしかして、BTSのファンなんですか!?」

「あらやだ、奥さんもですか?ちなみに私はJinが好きなんですよ、おほほ」

と話がはずみ、趣味が同じお友達ができるかもしれません。

 

 

「このサンドイッチ、美味しいですね」

と、話しかけてくれた男性と意気投合して

一生のパートナーになることもあるかもしれません。

 

ひたすら泣いているだけの日々では、こういう事は起こらないのです。

 

 

 

線維筋痛症を絶対治して幸せになる!

という気持ちは大切なのかもしれませんが、

行きすぎると

 

線維筋痛症という高い壁を超えないと幸せになれない

 

= イコール

 

今のままでは幸せになるのは不可能

 

という思考になり

 

「線維筋痛症を完治させる」一択でしか幸せになれないんです。

「線維筋痛症が治らない限り、不幸」と、自分で設定しちゃってるんですね。

 

 

 

でも、

治らなくても幸せにはなれる

という思考になれば

方法は無限大です。

 

 

私は、家族とたくさん出かけて幸せを感じ

家族にサポートされながら、趣味を精いっぱいやって

家族もそれを楽しむという形で、幸せを感じ

完璧主義でカチカチの私を和らげてくれる

最適なパートナーを得て

何も持たない私でも、実は価値は何も変わらなかった

と、気づかせてもらえました。

 

 

脱線を人間がコントロールすることはできないけれど

なるようにしかならないし、なるようになります。

 

 

泣いたり、焦ったり、自分を責めても

膨大なエネルギーを消費するのに、毎日は楽しくないです。

 

治療は、病院さえ見つけてしまえば、

あとは淡々と継続して、やることをやるだけなので

 

私と一緒に、ここで楽しくピクニックしませんか?🥪花