浮世絵とみる昔の暮らしと道具たち その1 旅 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

藤澤浮世絵館がオープンしたのは 2016年

大正末期から 鎌倉市腰越に居住していた経済学者 呉文炳(くれふみあき)氏(日本大学元総長 貴族院議員)が集めた数多くの藤沢にまつわる浮世絵を《呉コレクション》として昭和55年に藤沢市に譲渡したことが始まりでした。

 

 

浮世絵館の館内は パネルも使い わかりやすく浮世絵についての解説もされています

 

 

 

 

 

 

 

開館当時に 所蔵品の一部を掲載された図録も作られました。

 

 

 

 

 

今回開催されているのは 所蔵品の中から 昔の暮らしと道具に関する浮世絵と道具類。

 

 

 

 

 

これらは 図録に掲載されていないものも多く 頂けた資料は一覧表のみ。

 

 

 

館内は フラッシュをたかなければ 写真撮影が可能だったので たくさん撮った写真を 覚書代わりに記録しておきたいと思います。 

館内の所蔵品保護のため 照明が暗いのと ケースや額のガラスに反射して写真がうまく撮れてない部分もありますが・・・ 

 

 

今回の展示のテーマは 《生活 農耕 旅 お土産》の4つ。

テーマごとにコーナーが作られ 浮世絵と一緒に道具類も多数展示されていました。

今日はまず 旅のコーナーのご紹介。

 

 

 

こちらに並ぶ4冊の本は 江戸時代の旅人に向け 旅の心得などを記した道中記(ガイドブック)。

 

 

 

八隅蘆庵(やすみろあん)著 旅行用心集 文化7年(1810年)

東海道と木曽路の宿場 次の宿場までの距離 旅の持ち物 毒虫など旅の途中で用心すべきことが記されています。

旅の種類ごとに項目を分け 《船の旅》《冬の旅》などにより アドバイスもあり 旅の道中や地域によるマナーなども書かれ 江戸時代の旅には欠かせない1冊でした。

 

 

 

こちらは 上記のものと同じく 江戸時代に人気だった道中案内書

加治貞胤(かじさだたね)著 泉谷半兵衛版 諸国道中たび鏡  弘化4年(1847年)

この本にも 耳寄りな情報や地図 各地の名所旧跡がなどが沢山記載され 旅道具の1つとして旅人に持ち歩かれました。

開いているこのページは 《大山 江の島 鎌倉案内》で 藤沢と周辺地域の地図に 大山 江の島 鎌倉へ続く道などが記載されています。

 

 

 

岡田屋嘉七(おかだやかしち) 

諸国道中袖鏡(しょこくどうちゅうそでかがみ) 東海道 中山道道中記 

天保10年(1839年)

江戸の日本橋から京の三条大橋まで続く2つの街道 東海道と中山道について記した道中記で 

街道の各宿場の里数(距離) 宿代 名所などに加え 脇街道についても書かれています。

 

 

 

こちらの2冊は 

十返舎一九(じっぺんしゃいっく)著  喜多川月麿(きたがわつきまろ)(菊麿(きくまろ)) 画

諸国道中 金の草鞋(かねのわらじ) 一と弐 文化10年(1813年)

 

十返舎一九による絵草紙で 《東海道中膝栗毛》の完結と前後して文化10年に発行開始した24編からなるシリーズ本。

滑稽文や狂歌を織り交ぜながら 江戸や東海道 箱根 鎌倉などの名所旧跡をたどっています。

江戸時代後期には このような旅を題材とした物語が多く出版され 旅が民衆の間に根付いていたことをうかがわせます。

 

 

 

 

旅の様子が描かれた浮世絵も 数多く展示中。

 

歌川広重 東海道五十三次細見図絵(さいけんずえ) 藤沢 平塚江(へ)三里半

天保14年~弘化4年(1843年~1847年)

東海道を往来する人々を描いたシリーズの1枚。

六部(ろくぶ)(写経した法華経を諸国に納経する回国巡礼僧) 順礼(巡礼) 修行者 金毘羅参り等 参詣の旅をする人々が休憩する姿がユーモラスに描かれています。

 

 

 

人々の持ち物を見ると 

 

 

 

江戸時代の旅には欠かせなかった嗜好品の《煙草》 藁で作られた日よけ・雨よけの《菅笠》 お弁当の容器《曲げわっぱ》などが描かれています。

 

 

 

 

 

 

また《六部》と書かれている男性の隣には 仏や千手観音などのお像を背負える厨子も描かれています。

 

 

 

この可愛い浮世絵は クリアファイルになり受付で購入できたので買ってきました。

 

 

 

仮名垣魯文(かながきろぶん)著 落合芳幾(おちあいよしいく)画

東海道中栗毛弥次馬(とうかいどうちゅうくりげのやじうま) 土山 万延元年(1860年)

江戸時代後期に出版された十返舎一九作《東海道中膝栗毛》に初登場した愉快な2人組の代名詞である弥次喜多を題材とした揃物の1つです。

弥次喜多が 藍染めの縞模様や井桁文様の《合羽》(江戸時代の雨具)を着て 目に雨が入らぬよう頭を伏せ 菅笠で視界を守りながら 雨の土山付近を歩いています。

 

 

 

この浮世絵にも描かれた旅の男性装束の実物も展示されていました。

上から菅笠 合羽 股引 脚絆 草履

 

 

 

旅の持ち物も展示中

左 旅提灯 

   旅提灯は 円柱型の提灯で畳むと金属製の枠の中に紙部分が収納できる提灯。

   携帯する時には布袋に入れ 口紐の端にろうそく入れの竹筒や根付を取り付け

   懐に入れたことから 《ふところ提灯》とも言われました。

   使う時には 腰に下げて使います。

中央 印籠

右 弁当箱

 

 

 

旅枕 

 

 

 

旅枕には様々な種類があったようですが 展示中ものは小型枕でしょうかね・・・。

 

 ★小型枕・・・・・通常の枕を携帯に便利なように小型にした枕で 旅枕としては

          初期から使われた形のもの。

          簡易な木枕 箱枕が主で 旅行以外にも湯治場 農漁村での

          若衆宿 茶屋でのひと休み 仮眠用にも使われました。
 ★折りたたみ枕・・小さく折りたためる枕で 組み立てた使用時の形はX型 Z型 

          ロ型 鳥居型 立ち台型などの形があります・
 ★組み立て枕・・・携帯時に分解して小さくできる組木の枕。

 ★道中枕・・・・・長期の旅行に必要な小さな身の回り品(薬 針 糸、矢立て(筆記

          用具) 火打石 財布 巾着 髪飾り等)や 小型にした仕事用具

          (そろばん はかり 覚書等)の職業上の用具を小型にしたもの等

          を収納できるよう 物入れが付いた枕。
 ★飛脚枕・・・・・枕を兼ねた胴乱(小型の鞄や物入れ)で 中には薬品 印章などの

          貴重品入れとして または火縄銃の火薬保存ケースとして使われ

          ました。

          木製の他 多くは革製 蓋には錠付のものも有りました

 

 

左は 胴乱付の飛脚枕

右は 酒器

 

 

 

ポケットがついている小さな袋は 七つ道具入れ

毛抜き 定規 匙(さじ)などが入っています

 

 

 

左上(M12) 煙管入れ

左5点   煙管

右上(M9)  煙管入れと煙草入れ一式

中央    きざみ煙草

 

 

 

展示されていた刻み煙草の《ききょう》は 戦後の昭和20年代に4売られていた煙草のようですね。

20年以上前に ボランティアで新潟県の古民家の片付けに行った知人から 処分品の中に珍しいものがあったと 刻み煙草 ききょうの4実物を見せてもらった事があります。

 

 

 

左上(M15) 早道(はやみち)

      早道は 小銭入れです。

      旅の道中 大金は胴巻に入れ 腹に巻くか懐にしまっていましたが 

      小銭はすぐに取り出せるよう《早道》に入れ 上部の円筒形の部分を

      帯にはさんで腰に下げました。

右上(M14) 火打ち道具

下4点(M13) 矢立て

 

 

 

女性の旅の装いは頭に埃除けの手ぬぐいまたは菅笠をかぶり 小袖の上埃除けの浴衣をはおり しごき帯でくくって歩きやすいようにはしょります。

足元には膝から下を覆う白足袋に草履を履きました。

持ち物は 人それぞれですが 護身用の杖は必需品。

江戸時代の旅人の多くは 男女問わず喫煙道具を持ち歩きました。

こちらの3つの浮世絵は 歌川国貞(三代豊国)の《美人東海道》という愛称で親しまれ 背景に東海道の各宿場の風景 手前には各地に関連した風俗や旅姿の女性が描かれています。

 

 

 

大きくして見てみましょう

右の歌川国貞 東海道五十三次之内 川崎之図 天保年間(1830年~44年)に描かれていいる女性の旅人は 埃除けの手ぬぐいをかぶり 煙管を持っています。

 

 

 

中央の歌川国貞 東海道五十三次之内 吉田之図 天保年間(1830年~44年)には 菅笠をかぶり 護身用の杖を持つ女性旅人

 

 

 

左側の歌川国貞 東海道五十三次之内 庄野之図 天保年間(1830年~44年)には 右手に煙管左手に菅笠を持つ女性。

 

 

 

歌川国貞 東海道五十三次之内 吉原図 天保年間(1830年~44年)

巡礼姿の女性は 首から納札をかけ 華やかな振袖姿。

当時 このような姿で巡礼していたわけではなく 美人画に彩を持たせた演出表現と考えられています。

手には柄杓を持っていますが これは 路銀(旅費)の無い旅人の伊勢参り必須アイテムでした。

道中の人々に柄杓を差し出すと お金やお米絵をもらえ まとまった費用が無い旅人は こうやって旅費を集め旅を続けっました。

 

 

 

歌川国貞(三代豊国)・歌川広重 双筆五十三次 程かや(ほどかや) 安政元年(1854年)

右側の少年が持っている柄杓は 上記の絵の女性と同様 伊勢参りの路銀集めの物。

親や主人に許可なく 子供や奉公人が伊勢神宮に行くのを≪抜け参り≫と言い お金を持たず 柄杓を持って行く人がいました。

差し出された柄杓にお金を恵んだ人々も 功徳になったそうです。

絵の背景には 横浜から鎌倉に抜ける金沢街道が描かれています。

遠景に見えているのは富士山 手前に広がる野原。

東海道から分かれて窯くっらに通じる金沢街道は 人通りが多い人気の街道でした。

東海道ではなく わざわざこの街道を選んで描いたのは 保土谷宿が多くの多くの道に分岐する交通の要所だったことを示したかったのではと考えられています

 

 

 

2枚の絵の間に展示されているのは 女性の旅装束

菅笠をかぶり 着物の上に埃除けの浴衣を羽織 草履を履いています。

 

 

 

装束の左側の絵は

歌川国貞(三代豊国) 江の嶌もうで 弘化年間(1844年~48年)

既に何点か作品を紹介した歌川国貞ですが 国貞は美人画や役者絵を得意とし 江戸時代後期~末期にかけ 歌川派の第一線で活躍し 浮世絵師の中で最も多く作品を残した絵師と言われています。

この≪江の嶌もうで≫は江の島と富士山を背景に3人の女性が描かれていますが 左の女性は火打金(ひうちがね)と火打石を合わせようとしています。

これは ≪切り火≫と言って 魔よけのおまじないの意味があります。

右側の女性が持つ煙管には 疱瘡除けの赤い布が巻き付けられています。

これらは どちらも旅の安全を祈るおまじないです。

 

 

 

装束右側の絵は

歌川国貞(三代豊国)・三代歌川国政

題名不詳(江の島詣 牛乗り美人と若衆) 天保14年~弘化4年(1843~47)

中断に雲形の枠線 上部には江の島の風景が描かれ 人物(牛を引く若い娘と 旅姿の女性 荷物持ちの若衆)がまるで雲の上を歩いているような構図の絵です。

牛を引く娘は 火打石を手にしていることから 牛に乗った女性の差し出す煙管に火をつけようとしているように見えます。

火打石を鳴らす切り火は 身を清めるおまじないにも使われました。

担ぎ棒の上に腰かけている若衆の荷物は 江の島土産の定番である貝屏風(貝殻で絵を作った屏風)や干しウニが紐に括り付けられています。

 

 

 

今週末は お盆休みで多くの方が旅に出かけると思います。

形や目的は違っても いつの時代も旅は楽しいものですね。

 

次回は 藤沢や江の島を中心とした東海道の浮世絵をご紹介します。