小田原の道標 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

小田原のかまぼこ通りで 無量寺の梅を見ながら そぞろ歩き。

 

 

 

無量寺の紋には大きな《丸に抱き茗荷》の寺紋。

茗荷の音が神仏の加護を意味する《冥加》に通じ ご加護を享けられ 縁起が良い紋として各地の神社仏閣でも採用されているのだとか・・・・

 

 

 

お寺の隣の民家の裏には 立派なお社が・・・

 

 

 

遠くからも良く目立った酒屋さんの看板

 

 

 

入り口に杉玉が掛けられていましたが かたわらには防犯カメラ

今の時代を象徴しているような光景でした。

 

 

 

 

小田原の街の各所に 町名が記された道標を捜すのも 散策の楽しみの一つです。

 

 

かまぼこ通りは漁港に近く 漁師や魚屋さんが多く住んでいた場所。

地名には その名残が残っています。

 

《市場横丁》

この辺りは 海に近いので 魚座(魚商人の組合)の漁商が多く住み 魚市場が開かれていました。

 

 

 

 

《千度小路(せんどこうじ)》

小田原北条時代 この辺りは《船方村》という漁村であり 江戸時代には 漁業 廻船業 魚商の拠点で 明治期から昭和43年まで魚市場がありました。

 

 

 

 

千度小路の道標のすぐ近くに 主人の親類の家があるのですが 主人の母の実家は 箱根町の仙石原で魚屋をしています。

現在は 3代目の従兄弟が跡を継いでいますが 明治生まれだった祖父は ぼてふり(棒手振)()から魚屋を始め 近隣の別荘地や旅館相手に商売をしていました。

叔母の家は 箱根の山の中から 早朝に魚市場に仕入れに来た時に 休憩所として作られたと聞いています。

  《棒手振》とは品物を担いだり下げ 呼び声を立てて売り歩く人。

    江戸時代は 魚市場と料理屋の間に介在し 魚の売買をしていた人。 

    童謡の《かわいい魚屋さん》も棒手振ですよね。

   

          

《代官町》

ここは かつて《代官小路》と呼ばれ 魚座や魚座名主が住んでいた地域。

 

 

 

近くには 石蔵が併設された格子窓の立派な古民家があり ここは かつての魚座名主さんだったお宅かな・・・・

 

 

 

現在は ずいぶんシャッターが閉まっているお店が多いですが かまぼこ通りに隣接する地域は小田原北条氏時代に野菜の市が開かれていた地域で 《青物町》の地名が付いています。

徳川家康時代には 小田原青物町の商人が 江戸の町づくりのため 東京日本橋の青物町に移り住んだそうです。

(画像は 8年前に歩いた時のものです)

 

 

 

 

 

かまぼこ通りを向けて お屋敷が並ぶ地域に出ると見えてきた標識は 《安斎小路》《安斎町》

この地区に小田原北条氏の侍医 田村安斎宅があったため つけられた小路の名前です。

第四代北条氏政と弟の氏照は 豊臣秀吉の小田原攻めに敗れた後 この家で自害した伝えられています。

 

 

 

 

 

ここからは 以前撮った道標

 

文学館の前のまっすぐな通りは 《西海子小路(さいかちこうじ)》

小路にサイカチの樹が植えられていた事が名前の由来という説と 大久保家の藩士たちが西海から来たという由来を残すために西海の子孫たちという意味で名付けたという説があるそうですが 《さいかち通りに1本もサイカチの木がないのはおかしい》という投書により さいかち通りの保健所跡地に サイカチの木を2本植えたという つじつま合わせの様なエピソードもあるようです。

 

 

 

現在は 道の左右に約50本のソメイヨシノが植えられ 春には桜のトンネルが楽しめる通りで 江戸時代は17の武家屋敷が軒を連ねていた地域です。

 

 

 

 

国道1号線沿いにも 道標が並びます。

柳屋ベーカリー前には 《筋違橋町(すじかいばしちょう)》

敵が攻めてきた時に 小田原城内から射撃しやすいように堀に斜めにかけられた橋の名前が由来

 

 

 

老舗の和菓子屋 伊勢屋さんの前にあるのは 《宮前町(みやのまえまち)》。

小田原の総鎮守 松原神社の門前町として形成された町で 江戸時代末期には 本陣と脇本陣 旅籠が23軒あり小田原宿の中心だった地域です。

 

 

 

 

 

 

松原神社から 国道1号線の山側の路地に入ると ういろう本舗の裏にある道標は《新道(しんみち)》

この道は 小田原城三の丸沿いの道で 文化14年(1817年)の小田原大火の時 逃げ道がなく 多数の焼死者が出たことから新しく作られました

 

 

 

 

《御用所》は 先週くらちさんと一緒に小田原に行った時に お堀端で見つけた道標。

御用所は 藩士の執務所の事。

元禄時代(1688年~1704年)は 箱根口門の東隣にあったそうですが 文政時代(1818年~1831年)にここに移され 幕末には母屋を囲み 敷地内に6棟の建物がありました。

 


 

 

歴史を捜しながら歩くのんびり散歩は  街中でも楽しむことができますね。