小田原路地散歩 その1 かまぼこ通り | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

小田原路地散歩く まだまだ続きます。

欲張りな私は せっかく出かけて行ったなら 目的地以外にも あちこち歩いてみたくなります。

 

 

まずは かまぼこ通りを散策

 

 

 

かまぼこ通りは 江戸時代から小田原が豊富な漁場に恵まれていたことから かまぼこや干物 削り節などの水産工業地として栄え 明治時代から昭和43年(1968年)まで魚市場もあり ブリ漁が盛んな活気にあふれた漁師町でした。

今も通りには 老舗のかまぼこ店 干物屋 おでん用の練り物の店が並んでいます。

 

 

かまぼこ通りの途中 かつて魚市場があった場所には こんな標識も立っています

 

 

 

 

かまぼこ通りの近くに主人の叔母の家があるのですが 箱根の仙石原にある義母の実家は 3代前のおじいさんが 旅館や別荘族相手に ぼてふり(※)から始めた鮮魚店で 昭和の中頃は 鮮魚店の隣に 寿司店も営んでいたため 箱根から小田原の魚市場に毎日仕入れに行く時の休憩所や仮眠所として建てた家を後に叔母の家にしたと聞いています。

  ※ぼてふり(棒手振)

    品物を担いだり下げたりして 呼び声を上げて売り歩くこと。

    童謡の可愛い魚屋さんの姿ですね。

    また 江戸では 魚市場と料理屋の間に介在し 魚を売買した人。

 

 

無量寺の近くにある昭和レトロなお宅は かつては理髪店。

窓枠のペンキが剥げ ガラスも割れてしまっているので すでに閉店しているようですが 当時はおしゃれな店構えだったでしょうね。

 

 

 

 

 

こちらの新しい建物は 折箱屋の専門店。

かまぼこやおでんの練り物を詰める折箱を作っているのでしょうね。

この土地ならではの専門店です。

 

 

 

かつては商店だったと思うガラス戸のお宅。

 

 

 

入り口にある石造りの流し台 底の部分に蛇口がついていて 何に使っていたのでしょうね・・・?

上の流し台の様な部分は 深さが浅く 蛇口もないので 雨樋から水を貯める防火用水のタンクだったかしら・・・?

 

 

 

 

ガラス戸の奥は 吊るし飾りが展示されていますが タイル張りの壁を見ると ここもかつては かまぼこ屋さんか魚屋さんだったかな・・・?

 

 

 

シャッターが閉まったお店の入り口も レトロチックなタイル張り。

懐かしくて可愛いタイルです。

 

 

 

 

鈴廣 籠清と並び 《小田原の蒲鉾御三家》と呼ばれていたお店の1つがコロナ禍に倒産してしまったようですが まだまだ老舗店も建て替えをして頑張っています。

 

 

 

 

 

 

かまぼこ通りの東側にあるのは 青物町

 

           

 

 

青物町は 小田原北条氏時代に この辺りに市がたっていたためについた地名と言われ 商人が多い町だったそうです。

東京 日本橋にあった青物町も 徳川時代に江戸の街づくりのため 小田原青物町の人達が移り住んだのだとか・・・

小田原 なかなかやるじゃ~~ん!!

 

 

ただ残念なことに 下の画像は 7~8年前に青物町を歩いた時のものですが ずいぶんとシャッター通りになっていたんですよね。

その後 コロナ禍もあり 今はどうなっているでしょうね。

 

 

 

 

かまぼこ通りの東側から 国道1号線にもどると 目の前に現れるのが 懐かしい赤いポストが立つ 小田原縮 なりわい交流館

 

 

 

 

 

ここは 昭和7年(1932年)に建てられた網問屋をリノベーションし 小田原観光や市民活動の拠点として使われています。

 

 

 

 

地図の部分が なりわい交流館 の部分が小田原城がある場所です。

 

 

 

 

 

国道から海側の地域は 東側がかつて商人や漁師が住んだ町 西側は去年花月さんと歩きましたが 文豪や政治家たちが住んだお屋敷街。

広い小田原宿や城下町 ゆっくり歩くと まだまだ面白い場所に出会いそうです。